歴史社会学(史的社会学ではない、歴史意識の社会学)のための おぼえがき4

●歴史社会学(史的社会学ではない、歴史意識の社会学)のための おぼえがき1
http://d.hatena.ne.jp/MASIKO/20120928/1348802644

0.はじめに
 0−1.この「おぼえがき」の位置・意味
1.問題意識と方法論
 1−1.問題意識
 1−2.方法論
  1−2−1.歴史データに対する基本姿勢
   1−2−1−1.歴史データにおける文献至上主義への距離
  1−2−2.援用する社会学的分析の機軸
   1−2−2−1.防衛機制をはじめとした動機の推定
   1−2−2−2.属性による「プロファイリング」と、少数例へのめくばり
   1−2−2−3.科学社会学周辺の蓄積の援用
  1−2−3.前提とする社会学的周辺の分析手法
   1−2−3−1.比較対照
   1−2−3−2.時間的遡行(文脈解釈への警戒感と単純な因果関係理解)
   1−2−3−3.国民国家や国際組織、国際法などの自明性にもたれかからな
          い
 

●歴史社会学(史的社会学ではない、歴史意識の社会学)のための おぼえがき2
http://d.hatena.ne.jp/MASIKO/20121008/1349656522

2.「強制連行はなかった」論の再生産構造
 2−1.プロパガンダとしての「強制連行はなかった」論の心理的基盤


●歴史社会学(史的社会学ではない、歴史意識の社会学)のための おぼえがき3
http://d.hatena.ne.jp/MASIKO/20121010/1349830205
2.「強制連行はなかった」論の再生産構造
 2−2.「なかった」論批判の骨子と実証史家の責任


以上(いずれも「未完」)をうけて、以下展開する。

                                                                                                                                      • -

2.「強制連行はなかった」論の再生産構造

 2−3.「なかった」論批判の射程と含意

 これまで、「強制連行」に関する「なかった」論と、その批判(実証史家)の構図を検討してきたが、ここでは、「1−2−2−3.科学社会学周辺の蓄積の援用」をさらにくわえることによって、「なかった」論一般の詐術を整理することによって、実証史学とは別の視座からの批判を展開し、その射程と含意をかんがえることとする。
 平川秀幸大阪大学)による「“STS”とは何か」(http://hideyukihirakawa.com/sts_archive/sts_general/what_is_sts.html)では、つぎのような重要な指摘がある。

「……「予防原則」とは、危険性に関する科学的証明が不確実であることを予防策・規制策を控える理由にすべきではないとする考え方であり、70年代初めに西ドイツで生まれ("Vorsorgeprinzip"という)、国際的な環境政策にも組み込まれてきたものだ。その背景には、環境政策や公衆衛生政策の分野で、何らかの規制措置を行政がとるための根拠―危険性や被害と原因の因果関係の証明―に厳しい科学的確実性を求めすぎることは、結果として被害を拡大させ、多くの犠牲者を生み出す危険があるという認識である。たとえば水俣病では、チッソからの排水が病気の原因だというレベルの因果関係は、かなり当初から疫学的にはっきりしていたにもかかわらず、国や企業、そしてその弁護に立った科学者・医学者が、原因物質の特定とその生体機序の解明まで踏み込んだ厳しいレベルの因果関係の証明を被害者側に要求したため、被害が拡大・深刻化し、補償を求めた裁判闘争を無用に長引かせてしまったことは有名だ(チッソ水俣病関西訴訟、熊本日日新聞社)……。また水俣病の例でもそうだが、被害の原因となる側は、資金力など研究資源が豊富な国や大企業であり、(東大や東工大のような)エリート大学の研究者が証人に立つことになりやすいのに対し、被害を訴え、その因果関係の証明を負わされる側は、漁民のような社会的・経済的弱者や、研究資源に乏しい地方大学の研究者であるという、科学的研究基盤の非対称性がある。また、そもそも原因究明に必要な情報の多くが、企業や国に握られ、企業秘密を盾に情報公開されないという情報の非対称性なども、原子力発電関係の裁判では常に存在している(3)。確かに、危険性の証明と安全性の証明、因果関係の存在証明と不在証明は、純論理的には対称的だ。しかし、このような社会的な非対称性や高い不確実性という条件のもとでは、「危険性の存在や因果関係の証明に厳密な科学性を要求する」という立証責任(burden of proof)のあり方は、環境や人命にとって有害な結果をもたらしやすいという「負の政治性」をもってしまうのである。

(3)最近の例は、福島第一原発へのMOX燃料の使用差し止め仮処分申請に対して福島地裁が下した判決に見ることができる。裁判を通じて被告の東京電力は、MOX燃料の製造データの公開を拒みつづけ、そのことは判決でも非難されていたにもかかわらず、判決の結果は申請却下であった。そして原告側は、この圧倒的な情報不足のなかで、MOX燃料の危険性の証明義務を負わされていたのである。(「美浜の会」関連ページ http://www.jca.apc.org/mihama/stop_pu/tokyo/comment010323.htm)

〔4.1. 不確実性のもとでの科学と政治: リスク管理における予防原則・科学的合理性・社会的合理性〕(http://hideyukihirakawa.com/sts_archive/sts_general/what_is_sts.html#chap4
 
 このことは、「歴史修正主義」が教育現場や訴訟などで発揮する政治性を分析するうえで、非常に重要な意味をもつ。なぜかというと、存命の被害者は、政府や保守メディアなどとくらべて、資源動員が非常にとぼしい傾向があり(基本的には左派系のマイナーな研究者・活動家だけが支援者になる)、またアカデミックな史家は、厳密な史料批判を自負するがゆえに、一般人が「歴史修正主義」にのまれてしまう力学をくいとめる好機をみずから逸してしまうきらいがあるからだ。
 すでにのべたように、「なかった」という言明は、実は立証が非常に困難である。しかし、「歴史修正主義者」たちや、政府・裁判所などは、事実がなかったことを証明することを不可能にするような証拠隠滅が推定されるのに、「あったことを証明しろ」と、原告らにせまる。過去の当局が、「あったことを証明」することを不可能にするかもしれないような、組織的な書類焼却などが、さまざまな間接的証拠から しられているのに、それを直視せず、むしろ積極的に無視して、「立証責任」を原告らにおわせるのだ。これは、みずからの立証責任をのがれるばかりでなく、責任転嫁する点で、二重に卑劣である。しかし、こういった詐欺的な論理を、裁判所はしばしば容認し、容認せずに事実認定まではしても、時効とか、原告の資格などを理由に、門前払いしてきた。
 一方、実証史家のおおくは、ききとり調査の結果などをかならずしも重視せず、「歴史修正主義者」らの「ウソだらけで信用ならない」キャンペーンに積極的に抵抗しようとしなかった。むしろ、自分たちが自力で史資料をみいだせない以上、沈黙すべきだ、といった方針なのではないか? 裁判所でさえ、刑事事件をはじめとして証人の記憶にそった証言を証拠として採用するのに、文書として発見できないと「史料批判がの素材がない」と、沈黙してしまうのだ。こうなると、戦争犯罪を擁護しようとする勢力によって、あたかも「アリバイ」が発見されてしまったような効果をもたらす。判事が実証史学はもちろん、法廷以外でのききとり調査の門外漢である以上、(そして、既存の判事たちの体制秩序志向=保守的土壌でのリクルートをかんがえれば)これはさけられない構造といえよう。これは、科学主義の追求による非科学性の反復を意味するわけで、これほどグロテスクでニヒリスティックな構図はめずらしいのではないか?【この段落加筆。2012/10/30】
 こうなると、裁判にかてないだけでなく、歴史修正主義者らに洗脳された無知な大衆の歴史観を全然修正できなくなる。岩波だのといった、リベラル系出版社の影響力など微々たるものなので、裁判にかてなければ、完全に劣勢だし、裁判にかてても、「あの判事はアカだ」みたいなヘリクツが右派系市民のなかで支配的なままでのこる。東京裁判史観と同様、「判事が左翼に洗脳されて反日的な判決をだした」といった、陰謀論が流通するのである。
 こういった背景があるからこそ、大出版社から、歴史修正主義にそった「歴史書」が大量に販売され、ときにベストセラーになるし、歴史教科書への「検定」という名の検閲がなくならない。それどころか、既存の歴史教科書が、戦争責任などに対して不充分な記述しかなしえていないのに、「教科書執筆者たちが、左翼に洗脳されて(あるいは「占領されて」)反日的な教科書を生徒におしつけている」といった、陰謀論が流通する。「教科書がかかなかった(真実の)歴史」といったタイトルのトンデモ本が、リベラル系の歴史書よりも大量に流通し、社会の歴史観に影響する。歴史修正主義にたつことをはじない。どころか、むしろ選挙戦術で積極的に援用することを基調としたタカ派政治家が権力の中枢にまでのぼりつめる……。こういった構図がまかりとおるのだ。

 このようにみてくると、実証史家の史料発掘力・批判力は、真相究明のために大事で不可欠はあっても、かれらの体質としての「科学主義」は、政治的文脈のなかで、無力とはいわないまでも、いつも有効とはいえないことが、わかるだろう。社会学をはじめとする、歴史以外の社会科学の存在意義は、ここにある。「1−2−1−1.歴史データにおける文献至上主義への距離」という、実証史家集団に対する、挑発的・否定的ともいうべき姿勢を明確にしたのは、以上のような理由からである。【この段落,加筆修正,2012/10/18】



【以下、2012/12/08加筆】
 とはいえ、「なかった」論批判の射程と含意において、やはり実証史家の史料発掘力・批判力は、真相究明のために大事で不可欠であるという現実は、くりかえ強調する意味があるだろう。
 たとえば、戦時動員のなかで朝鮮半島関連にしぼりこんだものだが、『朝鮮人強制連行』(岩波書店,2012/03/22)は、「従軍慰安婦」問題を史料的に否定する歴史修正主義者たちにとどまらない、ひろい射程とほねぶとの批判力をそなえているとおもう。

朝鮮人強制連行 (岩波新書)

朝鮮人強制連行 (岩波新書)

 以下、版元の該当ページから、一部転載させてもらう。

                                                                          • -

基本史料で実態を明らかにする

 本書のテーマは、従軍慰安婦創氏改名などと並んで日本の朝鮮植民地支配にかかわる大きな問題の一つです。これまで朴慶植金英達両氏の研究をはじめさまざまな研究があり、当事者の多くの証言も記録されていますが、日本政府がどのような意図で動員計画を作成し、どのように戦時動員を実施したかについての解明は十分にはなされてきていませんでした。

 著者は、当時の膨大な史料を渉猟して、その実態に迫りました。アジア・太平洋戦争当時、1939年(昭和14)9月から1945年8月にかけて戦時労務動員が行われました。その計画の策定過程、当時の朝鮮社会の状況、無謀な動員の実態、動員の中で日常化した暴力、そして動員体制の崩壊までを基本史料をもとに描き出します。「朝鮮人強制連行」といわれているものが、どのようなものであったかを明らかにします。

 また、日本人として、この問題をどのような歴史として記憶すべきかについて提言をし、戦時動員の歴史をふりかえるのは、現在、日本にいる外国人労働者の問題を考える上でも示唆するところが多いのではないかと述べています。じっくり読んでいただけたらと願う一冊です。

(新書編集部 平田賢一)

【中略】
 
■目次
 
はじめに  

序章 朝鮮人強制連行を問う意味
 
第1章 立案調査と準備不足の始動
1 植民地期の朝鮮社会と人口移動
2 労働力不足をめぐる議論
3 法令の整備と動員計画樹立
4 労働者確保と処遇の実態
   
第2章 「余剰」なき労働力の実情
1 動員の展開と矛盾の表出
2 動員への懸念と異論
 
第3章 押しつけられる矛盾
1 朝鮮人労務動員制度の再確立
2 日本内地の動員施策
3 困難になる朝鮮での要員確保
4 劣悪な待遇と生産性の低下
   
第4章 広がる社会的動揺と動員忌避
1 戦況の悪化と動員の拡大
2 朝鮮における徴用発動
3 機能不全の援護施策   

第5章 政策の破綻とその帰結
1 本土決戦準備と動員継続
2 日本敗戦後の帰還と残留
3 被害者と加害者のその後
   
終章 暴力と混乱の背景と要因
   
あとがき
主要参考文献
略年表
索引

                                                                          • -

 目次をみただけでわかるとおり、あった・なかった、史料の信頼性がどうのといった次元ではなく、帝国日本軍の兵站(後方)として、ヤマト系日本人労働力では、どうにもまにあわない、慢性的欠乏が常態化していたのだ。
 たとえば、本書は総計たった3ページで「軍慰安婦慰安婦従軍慰安婦)」がとりあげられるだけで、あまりにそっけない。性的奴隷として軟禁・収奪にあいつづけた女性たちのおったきず、そのくやしさは当然のことだが、強制をともなった巨大な動員体制のなかでは、たしかに、「ちいさな」要素にすぎないのだろう。どんなに卑劣・悪質な権力犯罪であろうと、量的には、きわめてちいさな部分にとどまるのだ。逆にいえば、性的奴隷とされた女性たちの過酷な運命がちいさな部分にとどまるほど、「朝鮮人強制連行」は巨大な総体として厳然とたしかめられる歴史的現実なのだ。
 つまり、歴史修正主義者が、史料うんぬんといったかたちで、「異論」をくりかえしたり、大衆を洗脳するような策動は、すべて歴史的現実の総体のまえに、無に帰す性格のものばかりだ(すくなくとも、朝鮮半島への権力犯罪にかぎれば)。したがって、これらの事実をコンパクトにまとめ、大衆に周知することは、戦中世代が戦争犯罪に加担した政府の責務である。右派系議員らや、反動的な教科書検定官などが、事実問題とか、教育的配慮などを理由に、記述に介入するなど、狂気の沙汰であり言語道断の暴挙なのだ。教科書会社は、つねにおよびごしであり、おずおずと修正要求・指導などにつきあうだけで、事実は事実だと抵抗する姿勢がない。そして、そういった水準の教科書でさえも、右派系の人物たちによる「教科書」にはじきだされてしまうような教科書採択の自治体がある。そして、なにより、こういった歴史認識についての緊張感にかけた教員がマスプロ育成されて着任する。
 東アジア・東南アジアや太平洋で戦争犯罪の被害にあったひとびとと関係者にかおむけできるような認識が維持されるはずがない。これら、無責任で反動的な教育体制は、政府と大学人の責任の所産である。

 そもそも、基本的に政治的保守にとどまるはずの日本の判事たちが、強制動員・軟禁状態という状況を、事実として認定しているのだ。右派政治家たちは、基本的に自分たちの利害を保守してくれる判事がくだした判決さえも否定するという、およそ自己矛盾にみちた言動をくりかしているのである。そして、これらの判決を最高裁がすべて棄却しているらしい点こそ、この国の度しがたい反動性をものがたっているといえよう。

司法が認定した日本軍「慰安婦」―被害・加害事実は消せない! (かもがわブックレット)

司法が認定した日本軍「慰安婦」―被害・加害事実は消せない! (かもがわブックレット)




【2012/12/27加筆】
 のぞまない動員は、強制性における強弱のグラデーションはあれども、「おなじ日本人なのだから」という強弁は、合法性問題として浮上しうる。しかし、それが外国籍者となれば、はなしは別だ。強制性がすこしでもあれば、それは拉致による奴隷労働という性格をおびる。
 戦時中の朝鮮・台湾・南サハリンなどが前者であるなら、中国や満州は後者にあたる。そして、強制連行は、田中宏『在日外国人』(岩波新書)などをはじめとして、すでにいくつもの古典的概説書がある。象徴的なのは、「劉連仁」事件である。

在日外国人 新版―法の壁、心の溝 (岩波新書)

在日外国人 新版―法の壁、心の溝 (岩波新書)

劉連仁・穴の中の戦後

劉連仁・穴の中の戦後

穴から穴へ13年―劉連仁と強制連行 (母と子でみる)

穴から穴へ13年―劉連仁と強制連行 (母と子でみる)

 そして、「中国人」(その概念をどうとらえるかはともかく、旧中華民国版図内の住民をさすとしよう)については、つぎのような一般書が。

中国人強制連行の記録―日本人は中国人に何をしたか (三一新書)

中国人強制連行の記録―日本人は中国人に何をしたか (三一新書)

中国人強制連行 (岩波新書)

中国人強制連行 (岩波新書)


 少々専門性がでてもよいとなれば、関係書は急増する。おもなものだけあげよう。

中国人強制連行

中国人強制連行

神戸港強制連行の記録 (世界人権問題叢書)

神戸港強制連行の記録 (世界人権問題叢書)

企業の戦争責任―中国人強制連行の現場から

企業の戦争責任―中国人強制連行の現場から



【2013/06/01加筆】
慰安婦」は日本の国家犯罪だと認識できないウヨウヨさんへ
『ちきゅう座』2013年 5月 31日 増田都子
http://chikyuza.net/n/archives/34622

                                                                                  • -

《一部引用》

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http://14819219.at.webry.info/201210/article_2.html作者のウヨウヨさんへ>
本物の(笑)増田都子より

1、私は「右翼」の定義を「他者の人権を侵害することを肯定する人」としていますので、あなたは、主観的には「自分では右翼だとも思っていませんし、普通の一般市民」だと自称してらっしゃいますけど、私の客観的(笑)定義にしたがえば、立派な(笑)「右翼」でいらっしゃいますよ。

そこで、ここでは「『右翼』の自覚が全くない『右翼』さんそのものの人物」を略して『ウヨウヨさん』」と、呼ばせていただきます。実名を教えていただければ、もちろん、そのお名前で呼びますけど・・・

2、①写真について
もしかして、そこに載せている写真をウヨウヨさんは「増田都子」の写真だと「思い込」んでいらっしゃるようですけど、全くの別人ですから…その写真の方は「日の丸・君が代」不起立で有名な女性です…

もし、私の写真を載せたいのであれば、許可を私に申し出てくだされば、いくらでも本物の私の写真を送って差し上げましたのに(笑)…とりあえず、私のHP
http://www.masudamiyako.com/index.html
の写真をお使いください(笑)。

②ウヨウヨさんは、私の名前「増田都子」という文字を見ながら、勝手に「増田郁子」と改名してくれています。以下に書きますけど、ウヨウヨさんは実に奇妙な(笑)視力をお持ちのようですが、ぜひ、訂正してくださいね。勝手に他人の名前を改名するなんて、普通の本物の「一般市民」はやらない、と思いますよ。

3、では、内容に入りましょう。上記2−②に書いたように、あなたは非常に変わった面白い(笑)偏頗な視力をお持ちです。つまり、目の前に書いてある文字のうち、自分に都合のいい文字は認識できるけれども、自分に都合の悪い文字は目に入らない、という、非常に変わった面白い(笑)、とっても偏頗な視力です。

そういう実に変わった視力の上に、ハッキリ言わせていただきますと、日本語読解能力があまりにも低いようです。

これから私が書いていく、あなたにとっては、たいへん都合の悪い文字は、全く認識できないかもしれませんけど、余りにも真っ赤なウソを信じ込んでいらっしゃるのはお気の毒でしょうがないので、老婆心(笑)ながら、以下、キチンと説明して差し上げます。【】内は、ウヨウヨさんの原文です。

②【①しかも「慰安婦」が「売春婦」を意味するとは書いていない。
これはどういうことかちょっと意味がわからなかったのですが・・・「慰安婦」が「売春婦」を意味するとは書いていないというのは、「公娼に限る」とは書いていないという意味でしょうか。】

ウヨウヨさんの変わった視力では、「意味がわからなかったので」しょうけど、普通の本物の「一般市民」の方なら、普通に「意味がわか」るはずですです。でも、ウヨウヨさんのような方のために、もう少し丁寧に説明しておいた方が良かったようですね「。

「『慰安婦』が『兵隊のセックス相手』をする『売春婦』を意味するとは書いていない」…ウヨウヨさん、お分かりいただけましたか?

③【もちろんこういう人たちが慰安婦に応募したということを言っているわけではありません。ただハングルも読めない貧しい人たちが多かったというのもどうなのかなと思います。】

あのぉ〜…ウヨウヨさんって、失礼ながら、本当に無知でいらっしゃいますよね? ネットでも、「植民地朝鮮 識字率」で検索すれば、いろいろ出てきますよ。以下など、いかが?
http://repository.tufs.ac.jp/bitstream/10108/21863/1/jaas058008.pdf

これによりますと、「朝鮮人識字率は男性で44.4%、女性で9.8%」「郡部は…男性43.2%、女性8.7%」です。
《以下略》

                                                                                  • -


【2013/06/19加筆】

「スマラン事件は軍による強制連行だ」←実に濃縮された解説。史料も充実。
http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/18/17

「政府が否定できない日本軍による強制連行」←ジャワ島における『スマラン事件』をとりあげた記事。
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-106.html
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%99%BD%E9%A6%AC%E4%BA%8B%E4%BB%B6&oldid=13235686

【かきかけ】