山本栄子『歩―識字を求め、部落差別と闘いつづける』解放出版社(2012/12/20)

リテラシー論を一挙に転換させた記念碑的論集(識字の社会言語学)http://d.hatena.ne.jp/MASIKO/20120706/1341535694)と関連した新刊の紹介。

歩―識字を求め、部落差別と闘いつづける

歩―識字を求め、部落差別と闘いつづける


フェイスブックでは「かどや・あべ編『識字の社会言語学』+角知行『識字神話をよみとく』がでてなお、とかれるべき識字論がありうるのか? たしかめないといけないらしい文献。」(12月20日 17:30)とかきこんだ。
 端的にいって、「歴史的文書」であるといえそうだ。かどやらによる議論(第1章「日本の識字運動再考」)をよんでしまえば、部落解放運動系の識字運動が、被差別者に自分たちの非識字性という「欠落」を再確認させる差別性をかかえてきたこと。それへの自省がほとんどなく、識字者へとちかづけばちかづくほど「解放」されたことになるという論理=本質的な同化主義が全然克服されていないことはあきらかだ。こういった同化主義をのりこえ、差別を解消するためには、情報保障というかたちしかありえない。情報保障さえととのえられるなら、識字は不必要であり、差別する根拠自体が消失する。
 しかし、本書には、これら、かどや・あべパラダイムがまったくいかされていない。したがって、本書は、かどや・あべ編『識字の社会言語学』+角知行『識字神話をよみとく』などをふまえたあとは、「過去、いかに解放教育が、むくわれない運動に精力・時間を投入して、それにきづかなかったのか」という悲劇を確認する作業をするテキストである。非識字者への差別がいかに過酷なものであったか。差別の根拠がいかに不毛であったか。それに対応する解放教育が崇高なとりくみにみえながら(実際、エンパワーメントとしては、成功例がすくなくないであろうが)、かかえこまれた差別的同化主義に何十年も自覚がもてなかったという、ある意味無残な歴史的事実を確認するデータ集のひとつとして、反永久的に保存すべきものといえる。そして、これから四半世紀程度は、歴史的文書として、リテラシー教育、ナショナルミニマム、市民的素養などをかんがえる必要のある教育学徒/社会学徒などには、よんでそんはない文献といえそうだ。


●ましこ「だれ/なんのための識字ーパターナリズムをこえたュニバーサルデザイン/サポート」(日本解放社会学会,2011『解放社会学研究』25号,pp.149-158)

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