チェルノブイリ・パスタ 1980年代末のイタメシブームはセシウム汚染小麦の処分だった。

フェイスブックにかいた記事を、ほぼ再録。



マルコ・モリナーリ『パスタ万歳!』(リベルタ出版)には、つぎのようにしるされている。
「日本では80年代末から、フランス料理の衰退とともにイタリア料理がブームになった。パスタの消費量は急速に伸び、イタリアの有名なパスタメーカー全社が日本に輸入元か代理店を持つになっている。パスタの茹で時間からバラエティい富んだパスタソースまで、日本のパスタ文化の成長は目ざましい。……」(p.11)
 これは、バブル経済期における食文化の転換期を、滞在中のイタリア人料理人が淡々と記述しているようにみえるが、ましこは、焼肉レストランの位置づけなど、朝鮮料理などをふくめた、列島の食文化の一大転換点だとにらんでいる(ウラとりできたら、文章にするつもり)。
 http://www.liberta-s.com/503.html

ただ、つぎのような情報をえてしまうと、にわかには冷静になれない。
「★阿修羅♪ > 原発・フッ素26 > 267.html  
チェルノブイリ・パスタ 1980年代末のイタメシブームはセシウム汚染小麦の処分だった。(東海アマツイッター他)
http://www.asyura2.com/12/genpatu26/msg/267.html
投稿者 スカイキャット 日時 2012 年 8 月 04 日 10:41:48: 3nXimNhwS3/Ls

https://twitter.com/tokaiama/status/231303668174028801
日本でイタメシブームが起きたのは1980年代末のことだった。理由はイタリアの誇るパスタ産業が汚染によって売りあげが低迷し、新しい開拓先を日本に求めたからだった。当時、トルコから地中海に至るまで激しくセシウム汚染され小麦や紅茶が売れなくなり、警戒心の薄い日本に持ち込まれた。

http://nueq.exblog.jp/15695175/
チェルノブイリ・パスタ
今回の地震津波・フクシマ騒動で、日本人の冷静沈着さが
海外から高い評価をされている記事ばかりが日本国内で目立っているが、
実際には、フクシマ産放射物に対する日本人の鈍感さに呆れ返っている。
その為、こんなジョークがまかり通っているのである。

....日本人は、ヒロシマナガサキ放射性物質への耐性が出来ている。
....だから、平気でいられるのだ。

と。

さて、むかしむかし、ウクライナチェルノブイリで事故(1986年)があった頃、
日本では、イタリアン・ブーム(スパゲティー・ブーム)に火が点いた。

1986年と云えば、日本ではまだバブルが始まって2合目辺りの時期。
東京の外食産業は、1980年頃の、アメリカン・生クリームケーキ
& ロング・カクテル のブームから、フレンチ・ケーキ&ショート・カクテル
のブームの時代を経て、フレンチのビストロ・ブームから
ようやくイタリアンに目が向き始めた頃のこと。……」

http://d.hatena.ne.jp/point-site-play/20120805/1344118797