歴史社会学(史的社会学ではない、歴史意識の社会学)のための おぼえがき1

0.はじめに

0−1.この「おぼえがき」の位置・意味
 この「おぼえがき」は、私的メモである。まとまった論考になるかどうか、さだかではない。
 だが、この「視覚化」は、議論の整理過程の公開を前提とすることで、一定の緊張感と責任感を維持しつつ、副産物として、諸氏の議論を誘発する可能性も想定している。
 同時に、この「おぼえがき」は(論文・著書になるかどうか未定であることを前提に)一定の整理段階を公開するものであるから、おそらく、いつまでたっても「未完」である。「おぼえがき1」としたが、このナンバリングも、どこまでいくかわからない。【かきかけ】という表記が、とりあえず文章末にしるされるが、それが、いつかきえるかもしれないし、きえずに、作成者が更新不能になるかもしれない。そういった意味では、「無責任」な「視覚化」である。
 現時点では、特段の事情がないかぎり、「ライフワーク」になるかもしれないという、予感がある。『知の政治経済学』での問題提起をうけたものになるであろう。

知の政治経済学―あたらしい知識社会学のための序説

知の政治経済学―あたらしい知識社会学のための序説

 ただ、『解放社会学研究』(24号,日本解放社会学会,2010)での「書評×リプライ」(書 評:郭基煥/リプライ 責任と展望:ましこ・ひでのり)では、『知の政治経済学』での「おわりに」でのべた展望とちがったことをかいた。「のこされた時間と能力」問題である。その意味では、この「おぼえがき」は想定外の意味をもつかもしれない。
http://ci.nii.ac.jp/naid/40018852650
http://sociology.r1.shudo-u.ac.jp/liberty/books/books.html
http://rakuhoku.blog87.fc2.com/blog-entry-737.html


1.問題意識と方法論

1−1.問題意識

 表題に「歴史社会学(史的社会学ではない、歴史意識の社会学)のため」としるしたとおり、この「おぼえがき」は、既存の「歴史社会学」とは異質である。
 通常いわれる「歴史社会学」は、その実「歴史の社会学」ではなく、ほとんどが「史的社会学」をさしている。
 たとえば、つぎのような記述。

「歴史社会学(れきししゃかいがく、英: Historical Sociology)は、社会の歴史的変動過程を経験的に探求する社会学の一領域である。
……今日では、社会科学の諸理論を介在させた歴史分析をすべて包摂する言葉として利用されることが多い……」(Wikipedia「歴史社会学」)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%AD%A6

 あるいは、つぎのような学会大会での陣容。
関東社会学会第56回大会(2008.6.21-22 首都大学東京
テーマ部会B「社会学における歴史的資料の意味と方法」(6/22)
http://kantohsociologicalsociety.jp/congress/56/points_themeB.html

 もちろん、歴史意識を対象化した社会学的とりくみも実在するが、史的社会学と異質であるといった、問題意識・方法論を明確に自覚した集団は、例外的少数ではないか? たとえば、つぎのような組織は、史的社会学以外の方法論にもめくばりがなされているが、完全に「雑居」状態とおもわれる。

・歴史社会学研究会
http://www.arsvi.com/o/shs.htm

 しかし、文献資料をつきあわせる史料批判の蓄積による、過去の事実の確認・確定作業ということであれば、実証史家の職分であり、かりに社会学者がてがけたにせよ、その作業は、社会学的営為とはことなるだろう。近代社会の成立過程の深層部分の動態分析をこころみた、M・ウェーバーヴェーバー)らの作業も同様だ。これらは、「歴史の社会学」ではなく、「史的社会学」(Historia Sociologio,Historical Sociology)とよぶべきであり、「歴史(記述・意識)の社会学」は、別個に構築されねばなるまい。

 また、社会学者が実証史家とは別個の責務(社会的責任)をおっているとすれば、それは、実証史家の提示したデータ整理を解釈することだけではないはずだ。
 もちろん、実証史家が、文献資料や考古学的資料、さらには、ききとり調査などの総合的な復元作業をおこなってもなお、社会学をはじめとした、周辺諸学が批判的検討をする余地があるし、むしろ実証史家が全知全能であるかのような権威主義は、時代錯誤というべきだろう。それは、法制史・経済史・文学史科学史……といった、法学部・経済学部・文学部・理学部などで蓄積されてきた歴史データでさえ、そうである。部外者・しろうとである社会学者だからこそ、きづける観点があるはずだ。
 それは、社会学者自身が、実証史家としてデータ収集・整理・解析作業にくわわるばあいも同様だろう。
 しかし、同時にいえることは、そういった実証史家的な作業が、社会学独自の領分なのかということである。そういった作業は、たとえば、文学史的業績に対して、法制史家や経済史家が批判的検討をくわえるとか、さまざまなケースがかんがえられるであろう。社会学が、総合的な視座をもっている点ぐらいしか、独自性はない。
 このようにかんがえてくると、社会学独自のもちあじとは、周囲の社会科学の専門家とはちがった貢献をする可能性ではなかろうか? たとえば「歴史修正主義」への具体的対応と、教育現場・出版現場への生産的提言などである。
 なぜなら、現在もつづく、ナショナリスト間の不毛な衝突は、おおむね「歴史修正主義」や「固有の領土」論などによる、悪循環の産物だとおもわれるのに、実証史家の大半は、論争に対して有効な視座を提供できずにいるようにおもえるからだ。その点で社会学は、「歴史修正主義」や「固有の領土」論など、科学的根拠があいまいだったり、しばしば疑似科学ニセ科学のたぐいの産物が、どう構築され、どう受容されるかを、比較的冷静にメタ言語として提示できるはずだ。「社会構成(構築)主義」とか、「共同幻想」論とか、「集合的記憶」論とか、諸集団の共有する意識の形成過程を記述してきた蓄積があるがゆえに、党派的・ナショナリスティックな議論にふりまわされずに、議論が展開できるだろうと。
 ちなみに、ブログ運営者は、歴史教科書周辺の意識動向を、生産者(歴史研究者や教育者)や管理者(国家官僚)などの意識基盤を分析する作業により、国民国家イデオロギー装置の一種なのではないかという議論を提出してきた。

イデオロギーとしての「日本」―「国語」「日本史」の知識社会学

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日本人という自画像―イデオロギーとしての「日本」再考

日本人という自画像―イデオロギーとしての「日本」再考

 そして、歴史教科書が当該社会の意識のせめぎあいで変動していく知的産物であることは、いろいろな研究者が社会学の一環として、開始している。たとえば、典型的な例は、つぎのようなもの。

国民史の変貌―日米歴史教科書とグローバル時代のナショナリズム

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歴史教科書にみるアメリカ―共生社会への道程 (早稲田社会学ブックレット―現代社会学のトピックス 1)

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叙述のスタイルと歴史教育―教授法と教科書の国際比較

叙述のスタイルと歴史教育―教授法と教科書の国際比較

 「歴史(記述・意識)の社会学」がもつ可能性は、以上のような範囲にとどまるものではなく、かなりの領域をカバーするはずだが、緊急度のたかいテーマは、この周辺ではないか?
 現代日本でいえば、「南京大虐殺」問題、「従軍慰安婦」をふくめた強引、ないしは詐欺的な大量徴用と軟禁・監禁状況など、生存者・関係者の証言以外に「物証」がとぼしい(おおくは、敗戦時に焼却処分と推定される)一群の事例など。それと、「日本の固有の領土」という政府公認の領土意識など。証言者・関係者の余命に限界がせまりつつある現在、救急医療における「トリアージ」に通底する優先順位問題として、議論をいそぐ必要があるとおもわれる。
 「大量殺戮(組織的搾取・組織的動員・……)はなかった」論など、ドイツ語圏や日本語圏で、たえることがない「歴史修正主義」を中心に、これらはすべて、実証史家だけに 社会的責任をしょわせる時代ではない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%91%E6%80%A5%E5%8C%BB%E7%99%82
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B8



1−2.方法論

1−2−1.歴史データに対する基本姿勢

 すでに、簡単にはのべておいたが、以上問題意識にあるとおり、「歴史(記述・意識)の社会学」は、モジどおり、「歴史記述」や「歴史意識」などの諸現象を「対象言語」として、「メタ言語」であり、社会学周辺の分析モデルを援用したものとなる。
 基本的には、実証史家が史料批判をへて蓄積・整理した歴史データと、それを一応基盤としているはずの学校教科書や学習参考書、一般書での記述の具体的動向と、その受容を総合的に記述・分析・批判するということになろう。
 「一応基盤としているはずの」とわざわざかいたのは、学校教科書でさえも、科学的蓄積とは別の次元で取捨選択がなされていることが、あきらかだからだ。また、「受容」に着目するのは、「教科書に(かかれ)ない歴史」「戦後教科書から消された人々」といったタイトルで、既存の学校教育に公然と不満をしめす執筆者・出版社がかなりめだつからである。
 『イデオロギーとしての「日本」』でのべたことだが、歴史記述の生産・編集・出版・消費という、一連の過程を、当事者の(しばしば無自覚な)動機や、生産・消費過程の社会的基盤を総合的にみる必要がある。
 たとえば沖縄戦での史実(非戦闘員の集団死や、現地「守備隊」による「処刑」など)が、検定教科書で矮小化されてきた経緯、しばしば事実を封印したり、ねじまげた過程が露呈したが、右派ナショナリストを中心に、疑似科学的な部分をかかえる現行教科書でさえも、「売国的」であるなどの非難がたえないことも、重要な現象といえよう。


1−2−1−1.歴史データにおける文献至上主義への距離

 別項で あらためて のべることになるが、実証史家が基本的前提とする「文献至上主義」には、たたない。「文献至上主義」は、ときには、考古学的データによって修正されたり、補強されたりもするが、実証史家の基本姿勢は、「一次資料こそ最良の史料」という信念を基盤にしている。「史料批判」も、「一次資料」のつきあわせによる、歴史データの真贋・信頼性の確定作業でしかなくて、考古学的物証などを例外として、「一次資料」以上のデータなどない、という信仰にもちかい信念が共有化されているとおもわれる。しかし、「歴史修正主義」などが根拠とする論理の一部には、この「文献至上主義」が悪用されているとおもわれる。「史料が発見されていないので、証拠はない」「ききとり調査の結果などは、かたりての記憶ちがい、いいまちがい、ネジまげなどが混在しているので、信用にはあたいしない」といった、極端な議論を正当化しかねない。
 「あること(実在)」を証明することは、比較的ラクで、「ないこと(不在)」を証明することの困難とは異質といった、信念が一般化している。しかし「史料がみつからないこと(不在)」が、「歴史修正主義」には、しばしば悪用されているとおもわれる。
 そもそも権力犯罪周辺では、しばしば証拠隠滅が組織的におこなわれてきた。したがって、公文書館などで基本的に文書が全部保存されるような国家体制ではないばあい、公権力の犯罪は、隠蔽されるのは宿命ともいえる(オーウェル1984年』)。もとより、論理的には、公権力関係者による組織犯罪が「不在」であることは、証明不能にちかい(物理的に不可能なもの、統計学的に存在困難なもの、etc.)。それにもかかわらず、権力犯罪の実在をあとづける「物証」がみつからないうちは、生存者の証言や、関係者の日記などの資料があっても、それらが信頼性がないかのような解釈がまかりとおってきた。【この段落微修正,2012/10/18】
 したがって、「歴史(記述・意識)の社会学」は、文献至上主義への健全な距離を維持し、ききとり調査によるデータが信頼性をどの程度もちうるのか、実証史家とは別個のルートで事実解明にとりくもうとする。



1−2−2.援用する社会学的分析の機軸

1−2−2−1.防衛機制をはじめとした動機の推定

 社会学は、周辺諸学(社会科学・人文学)はもちろん、自然科学さえも総動員する。社会学独自の問題意識とモデルは 実在し蓄積されてたが、社会学的調査・解析の特質は、「諸学の総動員体制」である。
 もちろん、社会心理学周辺の動機の推定(たとえば、「防衛機制」モデルなど)も動員される。たとえば、行為者やその集積としての集団や組織は、自分たちの精神安定やメンツにとって ふつごうな事実や記憶を、かくしたり、否認したりする。行為者や集団・組織は、しばしば認識・自覚自体を拒否して、ときには まったく意識のそとへと、情報・イメージを放りだす。これらの心理メカニズムや集合的記憶のありようを解析するとき、「防衛機制」モデルなどの適切な応用は、現実の推定のために非常に有効だとおもわれる。
 歴史意識、とりわけ歴史データに対する姿勢を解析するうえで、「防衛機制」モデルなどの適用により、たとえば歴史修正主義の発生基盤や、援用論理が整理できるだろう。
 「ミソジニー」など、無自覚な差別意識の分析概念も、もちろん援用する(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%BD%E3%82%B8%E3%83%8B%E3%83%BC)【この1文は、2012/10/17に追加】。


1−2−2−2.属性による「プロファイリング」と、少数例へのめくばり

 社会学の特質は、社会的属性による、行動パターンの推定である。社会学者は、社会的出自・地位、男女・年齢・世代、国籍・民族・第一言語、生活空間・学歴・生業、……など、基本的属性を所与の条件としてあたえられると、かなりの程度、予測ができるとかんがえる。あたりまえのことではあるが、社会的属性は、かんがえかたや、行動パターンを相当程度限定する。そういった社会的属性を数種類かさせることによって、相当程度のしぼりこむが可能になるだろう。
 たとえば「歴史修正主義者」の社会的出自・地位、男女・年齢・世代、国籍・民族・第一言語は、どういったものであろうか?

 と同時に、社会学は、本質主義とよばれる、イメージによる「独断」に警戒的である。「きめつけ」による、無用な誤解におちいらないよう、慎重に「少数例へのめくばり」をおこたらないよう、きくばりすることが、研究者倫理として、しばりをかけている。もっとも単純な統計学モデルの「正規分布」であれ、平均値から、標準偏差の整数倍で、非常にマレな事例が視覚化できる。複雑な要因や、偶然な要素が介在する現実は、もっと複雑である。「少数例へのめくばり」は不可欠のポイントといえる。
 もちろん、本質主義とへの警戒は、フェミニズムやクイア・スタディーズ、あるいはカルチュラル・スタディーズなど、周辺の思潮からの影響の産物でもあるのだが。



1−2−2−3.科学社会学周辺の蓄積の援用

 今後展開していく歴史社会学(歴史記述および歴史意識社会学)を、筆者は、知識社会学の一種とかんがえているが、意識しているものとして、自然科学とその応用技術を社会科学的ないし哲学・歴史学的・批判的に探求しようといる運動・思潮として、「STS」よばれるものがある。「“Science, Technology and Society”または“Science and Technology Studies”の略で、日本語ならそれぞれ「科学技術社会論」、「科学技術論」となる」ものがそれである。
http://hideyukihirakawa.com/sts_archive/sts_general/what_is_sts.html#chap1
 この潮流が、原子力技術や軍事技術、生命科学や生命工学、薬学や医学などへ適用されたばあい、非常に有効な権力監視・抑止装置になることは、いうまでもない。しかし、この潮流に位置する研究者の属性とそれにもとづく問題意識の致命的な限界をもっている。それは、かれらが基本的に科学を「自然科学+生命科学」周辺とみなしており、社会科学や人文諸学の科学的性格については、なんら関心をもっていない点である。当然、自然科学や生命科学周辺とその応用技術関連の現象については有効でも、社会科学や人文諸学の社会的性格や影響力については、関心外であって、全然あてにできないことになる。また、かれらの科学観(たとえば、「反証可能性」といった、現象の反復を自明の前提とした世界観)が、科学性や社会的意義への視座として、非常にかたよりをみせる危険性が否定できない。
 しかし、そうではあっても、たとえば、「科学的研究基盤の非対称性」「立証責任」に着目した「不確実性のもとでの科学と政治: リスク管理における予防原則・科学的合理性・社会的合理性」といった問題意識は、歴史記述をめぐる論争や裁判などに、かなりの程度援用可能だとおもわれる。
http://hideyukihirakawa.com/sts_archive/sts_general/what_is_sts.html#chap4
 また、「知識政治学からSTSを考える(2): 一般市民の科学理解(PUS)」といった問題意識も、実証科学としての実証史学の成果の共有化がうまくいかないという、公教育・出版・言論の世界にも援用可能なわくぐみだとかんがえられる。とりわけ、疑似科学ニセ科学として反復される「歴史修正主義」周辺の表現・受容層の存立基盤をかんがえるうえでは、有効であろう。
http://hideyukihirakawa.com/sts_archive/sts_general/what_is_sts.html#chap5




【9/30加筆】
1−2−3.前提とする社会学的周辺の分析手法

1−2−3−1.比較対照

 フェミニズムは、母性中心思想もふくみこんでいるが、すくなくとも、人権意識が成人男性至上主義を自明視してきたことへの批判を契機としている。こどもの権利や老人の権利、同性愛者など性的マイノリティの権利だってそうであろう。
 比較対照は、同質ななにかを軸にした「モノサシ」でくらべる行為である。人権も質・量両面で、くらべたからこそ、権利要求運動がうまれた。というか、「くらべる」という着想が誕生したときに「人権」も誕生したというべきだろう。
 たとえば男女は妊娠可能性など、質的にちがった存在というイメージが一般には信じられているが、男女というカテゴリーが人為的な共同幻想であり、実態は連続体(グラデーション)であることは、すでに指摘されている。しかし、男女というカテゴリーは本質主義的に実体化され、質的にちがった存在というイメージが世界を支配する。そして、だからこそ、量的な差異ではない、質的な差別がおき、そうであるがゆえに、不満がくりかえし生起する。ときに差別構造が意識される。「雌雄を決する」だの「女の腐ったような奴」だの、男性至上主義をうたがわない露骨な差別表現がある。「比較対照」すれば、一目瞭然だが、自明性にまどろむ人間たちには、その必要性が感じとれないし、ずっと自覚の契機がうまれない。
 兵士たちが近代をとおして(現代は別だが)、健康な若年男性だったということ、少年や老人や障害者、そして女性を排除した組織だったことは、「比較対照」によって本質がよく理解できるし、「性的奴隷」がなにゆえ、わかい女性だったか? そうやって「めぐりあった」男女たちが、基本的に 貧困層出身を基盤にしていたのは、なぜか? これらは、すでにのべた 複数の「属性」の交差を「比較対照」した「とい」である。



1−2−3−2.時間的遡行(文脈解釈への警戒感と単純な因果関係理解)

 「すべての歴史は現代史である」(クローチェ『歴史叙述の理論と歴史』)という至言があるけれども、われわれは、現代的感覚を投影したかたちでしか時代劇を作成できないし、鑑賞もできないように、「当時の文脈」にそった歴史的解釈はできない。歴史家の一部は、当該事例の同時代人の生活感覚をコピーする程度まではいりこむそうだけれども、かりに、かれらの歴史的復元を味読しても、かれらと同質の歴史解釈にはならないだろう。それは、われわれが、かれらのように虚心坦懐に同時代人に同化・共感できないからだけれども、問題はそれだけではない。それは、歴史データの解釈動機=目的が、当時の同時代人に同化することではないからだ。
 だから、軍隊が利用した「性的奴隷」の境遇を、一部が「職業的セックスワーカー」だからとか、当時は自明視された「公娼」制度などによって、「必要悪」視したりすることには警戒的となるほかない。前項の「比較対照」とからむけれども、「文脈が基本的に異質なのだから、比較は無意味」とは、ならないのだ。この点は、「歴史修正主義」が、しばしば、過去の正当化であり、それが表現者・支持者のホンネとして、現代人の国民的アイデンティティにねざした、自尊心維持であり、みずからの政治性・歴史意識の合理化=正当化にあることがしばしばであることとかんがえあわせると重要である。
 また、歴史記述の優先順位として、単純な因果関係理解に即した過去志向に警戒的でもありたい。歴史的推移において、因果関係は、論理的には重要である。時間的に先行する現実がないかぎり、つぎの現実はもたらされないからだ。しかし、この姿勢を至上原理とすると、過去をさかのぼれる研究者ほどエラいという権威主義にたどりついてしまう。たとえば20世紀前半の文化的現実を理解するためには、19世紀後半はもちろん19世紀前半に熟知していなければならないし、さらには18世紀以前も理解しておいて当然となりがちだ。実際には、近代社会の成立によって、変動要因に本質的な変容がうまれたにもかかわらずである。
 ついでいえば、時間的前後だけではなく、より基礎的とかんがえられる分野が全域を規定するといった、還元主義にも警戒的であるべきだろう。たとえば、ある文化的現象を理解するためには、それをもたらした政治的・経済的現実をふまえねばならない……といった、時間+領域両面での「遡行」が自明視されてしまいがちなのだ。しかし、文化現象は、それを包囲する政治的・経済的現象に還元されるものではない。マルクス経済学が、「土台と上部構造」といった比ゆに象徴される、単純な機械的歴史観を批判されたように、同時代の経済構造やそれを規定する同時代および近過去の政治構造へと還元しようといった姿勢には警戒的でなければなるまい。
 したがって、対象となる歴史的現実が、いかなる因果関係で当時からみた近過去からもたらされたかという問題関心だけではなく、その因果は必然だったのか、ほかの可能性はありえなかったのか、等々の問題関心から、時間的遡行がなされねばなるまい。たとえば「幕藩体制期からつづく公娼制度が近代軍にもうけつがれ、植民地にも適用されることとなった」といった、あたかも必要悪であるかのような俗流歴史観を冷静に批判する視座がもとめらる。



1−2−3−3.国民国家や国際組織、国際法などの自明性にもたれかからない

 歴史学社会学などではおなじみだが、国民国家や近代的帝国は、古代の王国や古代帝国とは異質であり、構成原理上、連続性はないとみてよい(あくまで「理念型」の次元でだが)。幕藩体制と明治政権で、どれほど人材的連続性があろうが、基本的支配領域や領民に共通点があろうが、近代国家としての「日本」と、成立以前とでは、別個の存在として「比較対照」する必要がある。端的にいえば、近代的な意味での「日本人意識」などは、近代以前には存在しない。「日本人」という近代的国籍は存在しない。解禁体制で出入国が管理されていた以上、オランダ人や清国人が「異人」とみなされていたからといって、「日本国籍者」が近代国家的な次元で制度化・意識化されていたわけではない。国際法や条約にもとづいた、領土概念も同様だ。
 と同時に、近代的帝国は、植民地の住民を「二級の国民」として諸権利を制限しながら、順法・徴税・徴兵などの義務は課した。この義務と権利の非対称性こそ、すでにのべた「比較対照」によって、矛盾がうきぼりになる。過去にさかのぼればさかのぼるほど恣意的で偽善的な国際法や条約などの経緯もみのがせない。現在でもくりかえされる、「公害輸出」的な権利水準の格差、人権水準や経済的格差をを悪用した「児童買春」などは、過去には、奴隷的な動員として、ごく一般的だったのだから。


【かきかけ】



※ なおコメント欄に、「画像認証」という、きわめて排除的な(障害学的な意味で)バリアがありますが、システムの構造にうといため、現在はずせないことを、おわびいたします。