歴史社会学(史的社会学ではない、歴史意識の社会学)のための おぼえがき6

歴史社会学(史的社会学ではない、歴史意識の社会学)のための おぼえがき5」でとりあげた論点をうけた議論は当座おいて、以前の議論を目次的に再掲して、派生した議論を展開する。

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●歴史社会学(史的社会学ではない、歴史意識の社会学)のための おぼえがき1
http://d.hatena.ne.jp/MASIKO/20120928/1348802644

0.はじめに
 0−1.この「おぼえがき」の位置・意味

1.問題意識と方法論
 1−1.問題意識
 1−2.方法論
  1−2−1.歴史データに対する基本姿勢
   1−2−1−1.歴史データにおける文献至上主義への距離
  1−2−2.援用する社会学的分析の機軸
   1−2−2−1.防衛機制をはじめとした動機の推定
   1−2−2−2.属性による「プロファイリング」と、少数例へのめくばり
   1−2−2−3.科学社会学周辺の蓄積の援用
  1−2−3.前提とする社会学的周辺の分析手法
   1−2−3−1.比較対照
   1−2−3−2.時間的遡行(文脈解釈への警戒感と単純な因果関係理解)
   1−2−3−3.国民国家や国際組織、国際法などの自明性にもたれかからな
          い
 

●歴史社会学(史的社会学ではない、歴史意識の社会学)のための おぼえがき2
http://d.hatena.ne.jp/MASIKO/20121008/1349656522
2.「強制連行はなかった」論の再生産構造
 2−1.プロパガンダとしての「強制連行はなかった」論の心理的基盤


●歴史社会学(史的社会学ではない、歴史意識の社会学)のための おぼえがき3
http://d.hatena.ne.jp/MASIKO/20121010/1349830205
 2−2.「なかった」論批判の骨子と実証史家の責任


●歴史社会学(史的社会学ではない、歴史意識の社会学)のための おぼえがき4
http://d.hatena.ne.jp/MASIKO/20121017/1350462763
 2−3.「なかった」論批判の射程と含意

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以上の議論のうち、《2.「強制連行はなかった」論の再生産構造》のうち、《2−1.プロパガンダとしての「強制連行はなかった」論の心理的基盤》とせなかあわせの心理機構を今回の課題としたい。



 2−4.「(当時は)しかたがなかった」論の心理機構

2−1.プロパガンダとしての「強制連行はなかった」論の心理的基盤》のなかで紹介した、昭和天皇の記者会見映像昭和天皇「原爆投下はやむをえないことと、私は思ってます。」》(1975/10/31)は、当時のヒロヒトの個人的見解をしめしている。

「この原子爆弾が投下されたことに対しては、遺憾にはおもってますが、こういう戦争中であることですから、広島市民に対しては気の毒であるが、やむをえないことと私はおもってます」

 おそらく、広島市民や長崎市民などをふくめた一部の国民以外は、このヒロヒトの発言を「やむをえないこと」とみなすのではないか? そして、いわゆる「菊のタブー」も無視できないが、この発言に対して、記者たちはもちろん、おおくの国民が難色をしめしたわけではないらしいこと自体、日本国民の多数が「(被爆者・関係者には)気の毒であるが、やむをえないこと」史観を共有しているものと推定できる。
 ましこは、以前の紹介の文脈では、「こういった「しかたがなかった」論は、昭和天皇による「原爆投下はやむをえないこと」発言(1975年)などと同様、アメリカ軍などの戦争犯罪を甘受するマゾヒスティックで売国的な歴史認識と通底しているとおもわれる」といった位置づけしていなかった。
 しかし、冷静にかんがえてみるならば、ヒロヒトの「やむをえないこと」論は、「(当時は)しかたがなかった」論/「やむをえなかった」論といいかえるべきだとおもう。ヒロヒトの主観(75年当時)では、《現在形》として「やむをえないこと」なのだろうが、これは《現在》からの回顧であって、過去の合理化なのである。そして、この「(当時は)しかたがなかった」論/「やむをえなかった」論こそ、実は「(問題)なかった」論と連続した心理機構だとおもわれる。
 そもそも、「普遍的に問題なかった」=「過去も問題なかったし、未来永劫問題化しない」といった論法は、一定の知性・品性がのこっているかぎり、さすがに気がひけるのだとおもう。そこで防衛機制として、「現在なら当然問題あるが、過去はおわったことで、いまさらしかたがない」とか、「現在なら当然問題あるが、過去は当然ちがった世界だから、しかたがない」とか、「過去のことを復元できない以上、想像、ないし『あとぢえ』で断罪するのは傲慢だ」といった、過去の合理化ににげこむだとおもう。
 とりわけ、どうみても(王党派的な日本人もないかぎり)「戦争犯罪者」の筆頭にあたるヒロヒトは、原爆投下をくいとめられなかった「張本人」のひとりであった。近衛文麿ら和睦=早期降伏派の進言を1945年はじめごろまでにうけいれて外務省などを和平工作に積極的にしむければ、原爆投下はもちろん、沖縄戦東京大空襲をふくめた無差別爆撃など、甚大な被害をさけることが可能であった。それを、無条件降伏=国体の変革(天皇制解体+日本軍解体)をうけいれられず、ダダをこねて逸機しつづけ、「御前会議」をこう着状態のまま、結論をさきおくりさせた張本人こそ、ヒロヒト自身であった。もちろん当人も充分自覚があったはずだ。だからこそ、「菊のタブー」を最大限に悪用して「気の毒であるが、やむをえないことと私はおもってます」などと、すっとぼけたのである。無差別爆撃のまきぞえをくった(大半が強制的だろう)動員されていた朝鮮系労働者や、沖縄戦での犠牲者についても、「気の毒であるが、やむをえないこと」とすっとぼけつづけて死んでいったし、それを追認したのが日本人の大半だった。心理学者、岸田秀が指摘したとおり、ヒロヒトは、軍部に責任転嫁して免罪されようとする大多数の日本国民の心理的「象徴」であり、意地でも、責任回避するしかなかったのである。だからこそ、日本国民は、ヒロヒトが徹頭徹尾「ひとごと」に終始した姿勢をせめなかった。いや、せめられなかったのだ。ヒロヒトの「ひとごと」的なすっとぼけは、こういった「空気」を狡猾に(かなりの程度無自覚だが)よみきった計算の産物とおもわれる。【この段落、2013/06/04 部分的修正】
 その意味でも、安倍首相らによる「従軍慰安婦」問題周辺での「なかった」論はもちろんのこと、橋下徹大阪市長らの「(当時は)しかたがなかった」論/「やむをえなかった」論やその亜流もあわせて、つねに警戒しなければならない。それは、英語でいう「現在完了形」としての戦争犯罪・植民地支配などの負の遺産を、あたかも自分と無関係で、なんら道義的責任をおう必要がないばかりか、基礎知識をふまえることさえ無用、いや有害無益であるかのような日本人の知的風土(「過去化」)の凝縮した政治性だからである。【同前】

 このようにかんがえてみると、これらの問題群への戦後うまれ世代の自分自身に対する自己批判的な意識も、以上のべた「ひとごと」問題と密接につながっている。もし、「負の遺産」を歴史的事実の確認というかたちで継承せず、無知自体を「当然の権利」であるかのように、ひらきなおる権利を、われわれ戦後世代は、もっていないのではないか? 歴史修正主義によるひらきなおりとしての「(問題)なかった」論を無知か無視によってくりかえすことがハラスメントであり、ばあいによっては犯罪的であるように、「(当時は)しかたがなかった」論/「やむをえなかった」論も、過去の正当化であり、かつ、「ひとごと」意識を合理化=正当化する防衛機制である。とりわけ、「(問題)なかった」論の無茶ぶりをカムフラージュするために、「(当時は)しかたがなかった」論/「やむをえなかった」論がえらばれているなら、実に狡猾であり、卑劣である。無知ゆえの野蛮としての「(問題)なかった」論よりも、部分否定による部分肯定という論法をとって、批判をかわそうという意図がみえる以上、より悪質とさえいえる。
 はっきりいおう。「そんなむかしのことは、しらない(しっていて、気にやむなど、不自然だ)」「そんなはなれた世代のことに責任を感じるすじあいではない」といった、歴史的事実に対する無知・無視による「ひとごと」視は、とおらない。すくなくとも、存命の被害者がおり、あるいは、その記憶を継承する世代がいきのこっているかぎり。ハラスメントは、誠実な反省と謝罪以外では全然いえないのだから。そして、そうである以上、歴史的事実を把握した層は、歴史的事実に対する無知・無視による「ひとごと」視が横行していることを放置せず、それを冷静に修正し、誠実に過去にむきあうようみちびく責務がある。そして、10代後半などになって、「成人として主体的に判断できる」といった自負によって深刻な事実誤認を修正する意思をうしなってしまうまえに、充分な方策・努力をはらう必要がある。その意味で、教育関係者とメディアの責任はおおきい。【以上2段落、2013/06/04 追加】



【かきかけ】