社会学A(中京大学2016年度)質問回答補遺2

◇④「(第15回プリントp.7)ATMやAmazonでのドローン配達や自動車の自動運転など、多くのシステムがここ何年かで無人化になってきているが、AIの誕生によりすべてが機械化されて、AIが仕事を奪い、なくなるなんて噂も聞くが、もし仮にこのままマクドナルド化や機械化が進んでいくとして、本当の「そして だれもいなくなった」という世界は、いつぐらいにおとずれるだろうか?」:■工学系のしろうとなので、責任ある予想などは、到底できかねます。授業でくりかえしのべたように、時事的な解析や、未来予想を、権威主義的にほしがるのは、社会学感覚からもっとも対局にある、よろしくない知的怠慢です。特定の知的カリスマに心酔してしまい、マインドコントロールをうけてしまっていることに全然きづかないなど、ナチズムへと暴走していく時期のドイツ国民などと共通する、「衆愚」といってさしつかえないと。■ありとあらゆるマインドコントロールから解放されることは、事実上困難ですが、社会学は、そういったリスク回避の手法として、「知の護身術」たりえることは、テキスト、および、その前身たる『あたらしい自画像 「知の護身術」としての社会学』で力説したとおりです。

社会学のまなざし (シリーズ「知のまなざし」)

社会学のまなざし (シリーズ「知のまなざし」)

あたらしい自画像―「知の護身術」としての社会学

あたらしい自画像―「知の護身術」としての社会学

■とはいえ、授業の後半では、グローバル化マクドナルド化を解説するのと並行するかたちで、かなりの程度、「未来予想」を私見として紹介したのも事実。■ですから、無用な混乱をさけるためにも、最低限の「まくひき」はしておく責務があるとおもいます。
■まず、経済学者たちが くりかえしのべてきたように、ロボット化は、あくまで、人件費とのかねあいで登場・定着がきまります。東南アジアなど、のんびりした社会でロボット化がすすまないのは、「納期にまにあわせるために超高速で生産する」「人件費などコストは、ギリギリまできりつめる」といった、競争圧力がないからです。ものすごくやすい人件費で、ゆっくり作業をつづけて、それで、とりあえず 世間が まわっているのです。そういった空間には、超高速で生産をつづけるロボットは不要です。購入コスト/ランニングコストが その社会にとって たかすぎるし、そもそも、そんなに あわてて まにあわせるべき 納期/信頼性などが、うまれていないのです。■したがって、こういった空間では、あとずっとしばらく、「そして だれもいなくなった」は、到来しないとおもいます。
■ただし、日本列島に急増中の「限界集落」が、そうであるように、現在の第三世界から、どんどん人材が流出して、「多産少死状況なのに人口がへっていく」という奇妙な現象がおきる可能性はあります。■現代日本で、高学歴化がすすむ女性たちが一部地域回帰にむかう一方、基本的には大都市圏に進学し就職し、そこで単身者としてすごすか、家庭をもっても1-2名の育児をこなすだけ……。という、過疎化を大量発生させる「都市化」はまだとまっていません。首都圏/東海圏などは、基本的に漸増傾向。女性たちの晩婚化/非婚化/少子化という、少子高齢化傾向は基本でも、周辺地域を中心に、わかい世代がながれこみつづけるからです。■そして、ここで、いわゆる「白人女性」の晩婚化/非婚化/少子化がすすんでも、人口がふえつづける北米の空間が、日本の大都市圏の人口動態をより強調したようなかたちで展開していることに着目すべきです。アメリカは超差別的な空間なので、北欧やフランスのような育児サポート政策はうたずに放置しているとおもわれます。だから、富裕層以外は、ヨーロッパ系の家庭は少子化をすすめているはず。しかし、ながれこむヒスパニック女性たちがカトリックとして避妊を忌避するなど、こだくさんになっていく。北米が少子高齢化せず、人口がふえつづけている現実は、将来の日本列島をかんがえるうえでも、示唆にとむとおもいます。■一方、北米のような「ひとりがち」状況で、世界各地から人口を吸収しつづる空間があるということは、人材供給地ではあっても、自分たちのホームランドが はかばかしくいかないという、日本列島の過疎地と同様な構図をつくりかねないということです。いま、アジアの人口爆発が懸念され、つづいてアフリカの急増が心配されていますが、あふれそうな人口のうけざらが、じもとにできないかぎり、北米など「地上の天国」が、ますます ひかりかがやいてみえ、どんどん人口が流出していくでしょう。
■はなしをもとにもどしましょう。徹底的な省力化志向にそった全面的機械化ゆえの「無人化」。それは、AIをまたずとも、遠隔操作などをてはじめに、急速にすすんでいくはずです。20世紀以降の超合理化の本質は、複製技術によるコストカットと加速化による高密度化です。チャップリンが『モダンタイムズ』を制作した時代、すでに、「機械との競争」は充分自覚されていました。その時代には、「使う者は使われる」という逆説=皮肉としてだけ理解されていたかもしれませんが、驚異的な反復作業を難なくこなす機械に、ひとがかなうはずがないのでした。■したがって、オートメーションをサポートする人員はずっと確保されつづけるだろうけれども、それ自体が漸減ないし急減していくことは、自明の宿命だったとおもいます。
機械との競争

機械との競争

■すくなくとも、総合スーパーの店舗などから、店員がどんどんへっているように、小売店の省力化はどんどんすすんでいます。「レジうち」などの職種がなくなるのは、そんなにとおいはなしではないはず。ロボットに困難な品出し要員にだけ、来店者は質問ができるといった準無人化が進行しているでしょう。将来的には、スーパーや量販店は、巨大な自販機と化しているでしょう。■いや、「ポケモンGO」のように、屋外につれだしてくれる誘因はどんどんへっていき、ほとんどが自動配達ですます、超宅配社会が支配的になるのではないでしょうか。自宅でタッチパネルで、にぎりずしを注文すると、20分後には、宅配ロボットトラックが、自宅まで「上ずし2人前」をとどけてくれる。にぎったのは、もちろん、すしロボットだし、公道の大半は、ロボットトラックだけが走行する自動車専用道にかわられている。公道は、①歩行者用、②趣味で運転したい層のためのカーマニア道、③ヒトや競走馬、愛玩動物、家畜などを輸送する、ヒト/動物用ロボットトラック専用道、④非生命を淡々と輸送するロボットトラック専用道など、およそ4種類に区分されているであろう。……こんな感じではないかと。■そして、こういった、輸送の劇的なロボット化などは、20年くらいで、相当な実用化段階にはいっているのではないかとおもいます。当然、各種ドライバーは不要化しますし、自動車教習所の意味あいも激変しているはず。カーレースなどスポーツショーの選手養成とか、そういったたぐいしか、たぶん市場がなくなっているからです。趣味ではしる人は、いまのような、自分でおもう存分ハンドリングをするのではなく、事故をおこせないような完全なプロテクトに保護された、ある意味、かなり限定された操作の余地しかなさそうですし。運転技術の修得は、シミュレーションマシンですんでしまうとか。■パワーショベルとか工事用車両とかは、のこるかな。教習所的な空間の意義も。AIがすごくなって、デコボコの土地を、ロボットがかってに整地してしまうとか、そんな時代は、そんなに はやくやってこないような気もするし。

【つづく】