『社会学のまなざし』コメンタール(回路1)

受講生からでた質問への回答にかえて、各記述について、補足説明。
※ 表記などについての疑問については、「『社会学のまなざし』誤植一覧

■「サイレント・マジョリティ」(p.66 4行)
↑ 本来は、「サイレント・マジョリティ(英: silent majority)とは、「物言わぬ多数派」、「静かな多数派」という意味」
アメリカのニクソン大統領が、1969年11月3日の演説で「グレート・サイレント・マジョリティ」とこの言葉を用いた。当時、ベトナム戦争に反対する学生などにより反戦運動がうねりを見せて高まっていた。しかし、ニクソンはそういった運動や発言をしない大多数のアメリカ国民はベトナム戦争に決して反対していないという意味でこの言葉を使った。事実、兵役を回避しながら反戦運動をする学生などに対して、アメリカ国内では高学歴の富裕層や穏健的な中流層から、保守的な低所得者層の労働者たちまでの広範囲な層が反感を強めていた。実際に1972年アメリカ合衆国大統領選挙ではニクソンは50州中49州を獲得し、圧勝している。
日本においても、昭和35年(1960年)のいわゆる「安保闘争」の際に、当時の首相岸信介が銀座や後楽園球場はいつも通りであることなどを挙げ、安保反対運動に参加していない国民を声なき声という言葉で表現し、ニクソン大統領の「サイレント・マジョリティ」とほぼ同じ意味で用いた」(ウィキペディア「サイレント・マジョリティ」)
・本書では、環境汚染などの直撃をうけ、ときに絶滅したりする野生の動植物は、人類に理解できるような異議もうしたてなどしない(できない)以上、対義語である「ノイジー・マイノリティ(「声高な少数派」の意味)」ではもちろんなく、沈黙をまもりつづける無数の生命体といして人類をとりまいているという現実を、皮肉をこめてのべている。


■「エリザベス貧窮法」(p.66 したから2行)
イングランド救貧法(きゅうひんほう、Poor Laws)とは、近世〜現代のイングランドにおいて、貧民増加による社会不安を抑制するための法制をさす。1531年に救貧が始まり、エリザベス救貧法をはじめ幾度も改正が繰り返され、結果的に福祉国家イギリスの出発点となった。イングランド救貧法は近代的社会福祉制度の先駆として模範のひとつとされ、諸外国も福祉制度の導入にあたって参考にした。日本の生活保護法などもこの影響を受けて作られている。
……
エリザベス救貧法(旧救貧法
救貧行政は各地方が個別に行っていたが、手に余る教区・都市も出始めていた。そこで1597年には、最初の総合的な救貧法(Act for the Relief of the Poor 1597)が制定され、1601年にエリザベス救貧法として知られる救貧法改正がなされた。この制度は17世紀を通じて救貧行政の基本となり、近代社会福祉制度の出発点とされている……
エリザベス救貧法の特徴は、国家単位での救貧行政という点にあった。エリザベス以前の救貧行政は各地の裁量に委ねられていたが、この改正によって救貧行政は国家の管轄となった。以降、救貧は中央集権化を強めていった。イングランド内戦がおこると一時的に機能麻痺に陥ったが、1662年の小規模の改正によって立て直された。
この救貧法現代社会福祉制度の出発点と評価されるいっぽう、法の目的は救済ではなくあくまで治安維持にあった。したがって貧民の待遇は抑圧的でありつづけ、懲治院は強制収容所・刑務所と変わらない状態にあった。ときには健常者と病気を持つ者を分け隔てなく収容し、懲治院内で病気の感染もおこった。こうした待遇から脱走や労働拒否を試みる貧民はあとを絶たず、一定の社会的安定をもたらす効果はあったものの、根治には至らなかった」(ウィキペディア「貧窮法」)


■“from the cradle to the grave”“from womb to tomb”(p.67)
「From the cradle to the grave
第二次大戦後、英労働党が掲げた社会福祉制度のスローガン。「From womb to tomb (子宮から墓場まで)」とも言われる。社会保障を充実させることを目的とした「生まれてから死ぬまで国民の面倒を見る」という社会福祉国家の構想。60年代、主要諸国の社会福祉政策の指針となり、財政・金融政策に基づく完全雇用を目指す「大きな政府」が主流となるが、失業率・医療費の増加、人口の高齢化などにより、社会保障費が国家歳出に占める割合が膨張。その後、歳出と課税、政府介入などを極力抑えた「小さな政府」への転向を試みる政策が見られるようになった。」
英国の社会保障制度とその変革 - 元気な高齢者と定年制度廃止

■「小さな政府」論(p.67したから7行)
「小さな政府(ちいさなせいふ, 英: Limited government)とは、民間で過不足なく供給可能な財・サービスにおいて政府の関与を無くすことで、政府・行政の規模・権限を可能な限り小さくしようとする思想または政策である。小さな政府を徹底した体制は夜警国家あるいは最小国家ともいう。基本的に、より少ない歳出と低い課税、低福祉-低負担-自己責任を志向する。主に、新保守主義者またはリバタリアンによって主張される。」(ウィキペディア「小さな政府」)


■「優勝劣敗原則は貫徹されない」(p.68 6行)
↑ そもそも、中高年男性が支配する長老支配(家父長制など)自体、身体的な強弱、反射神経などだけでは優劣がきまっていない証拠。つよいものだけが つねに かちのこり、よわいものは つねに きえていくというなら、壮健な成人男性(18-32才前後)だけしか いきのこれないことになる。そんな社会は、いまだかつてない(社会は戦場であはない)。
そして、壮健な成人男性も、幼少期という弱小な時期がかならずある。つまり、社会は、高齢者はともかく、乳幼児や女性など、弱者が いきのこれるよう、さまざまな保護や援助がなされるようできた互助的空間となっている。


■「うけざら」(p.68 8行)
↑ 現在、情報通信技術などによる省力化や労働力不足傾向にある職種との能力のミスマッチの結果とされている膨大な失業者。かれらを雇用し、福祉の対象から福祉をささえる主体へと変身させる職務の提供空間。高齢者介護施設etc.

■「単にビジネスチャンスだとか「官僚の天下り先」といった次元でなく、英知の結集が必要」(p.69 9-10行)
化石燃料を駆動力に、最大限に開花した複製技術が、乳幼児や育児関係者の生活環境も劇的に改善させ、乳児死亡率をさげ、高齢者を長寿化した。大衆化した高等教育。図書館・博物館・美術館・動植物園などはもちろんカルチャーセンターや公民館など文化的施設における社会教育(成人教育)。これら福祉・学習サービスは、ゆたかさの象徴であり、せっかく養成された人材を有効利用する空間でもある。これら資源が、業者の利潤追求とか、キャリア官僚らによる「余生」のための手段と化してはもったいなすぎる。私利の追求ではなく、公益につながるような福祉・学習サービスへの人材・資金の充当がもとめられる。当面は、大学などが先行例として参考になるはず。