『社会学のまなざし』コメンタール(回路2)

受講生からでた質問への回答にかえて、各記述について、補足説明。
※ 表記などについての疑問については、「『社会学のまなざし』誤植一覧

■「国連人口基金東京事務所」(p.69)→ウィキペディア国際連合人口基金

■「農牧をはじめても狩猟採集生活時代とくらべた爆発的人口増加にはいたらなかった」(p.70 7-8行)
 ↑ 一般的には、農耕社会直前(「居住可能地の人口密度は最大で1平方キロ当たり1人、通常は0.1人以下と推定されている」)が全世界で数百万人台の水準だった状況が、数千年がかりとはいえ数十倍に増加した事実は否定できない(「一般に粗放農業でも、単位面積当たりの人口支持力は狩猟採集の100倍は下らない」)。しかし、産業革命以降の人口爆発と比較すれば、「爆発的人口増加」という表現はあたらない。農業の伝播は、早晩、階級社会をもたらし都市を形成した。収奪システムが起動することで、格差が固定化し、特権層周辺は「人口増」をみたかもしれないが、その量はもちろん、たかがしれていた。都市部が農業生産の増産分を蕩尽し、農業生産人口を漸増させるにとどまったとかんがえられる。農業生産を急増させ、食料を遠隔地まで大量輸送できることで飢饉が消失していく=栄養水準向上などによる人口爆発時代の到来は、産業革命をまたねばならなかった。
どの程度の人口規模が地球のエコシステム上、適正なのか? その試算は、存外むずかしそうだ。しかし、現状の様な暴走というべきエネルギー利用(化石燃料原子力の無節操な活用)は論外だし、格差がひろがる一方の人類にあって、過剰な消費をつづけることが非倫理的であることはまちがいない。


■「休産期にはいらないよう絶食などにより栄養不足においこみ、強制的に羽毛をはえかわらせる」(p.72したから8行〜)
 ↑ 「採卵鶏は150日齢頃から産卵をはじめる。産卵を開始して約1年が経過すると、卵質や産卵率が低下し、自然に換羽して休産期に入る鶏が出てくる。このため、換羽前にと殺する場合もあるが、長期にわたって飼養する場合は、強制換羽がおこなわれる。強制換羽とは、鶏を絶食などの給餌制限により栄養不足にさせることで、新しい羽を抜け変わらせることである。強制換羽で生き残った鶏は、また市場に出せる質の良い卵を生むことができる。強制換羽は日本の採卵養鶏では約50%で実施されている」(ウィキペディア「養鶏」→http://jlta.lin.gr.jp/report/animalwelfare/h18/no2/AW181220-m3.pdf
羽毛を産業廃棄物ではなく有効利用するものとして、低価格帯のフトン/ジャケットやハタキ、募金用の羽根などがあるが、食用・鶏卵用の過密飼育では満足な質が保証できないために、羽毛用の飼育がなされている模様。

■「産む機械」(p.72したから7行)
 ↑ ナチズムがホロコーストという狂気のすえに、ユダヤ系市民を素材化して、人体の脂肪組織からセッケンをつくりだすという「有効利用」しようとした。
グダニスク
アレクサンダー・ワースの著書『Russia at War 1941 to 1945』で、彼は1945年に赤軍によって解放されたグダニスクを短期間訪れ、街の郊外に人間の死体から石鹸を作る実験工場を見たと記録している。ワースは「スパナーというドイツ人博士」が稼働させていたもので、「悪夢のような光景だった。タンクの中身は液体に浸かった人間の頭や胴体だった。そしてバケツの中身は、薄片状の物質――人間石鹸――だった」と書いている。
ニュルンベルク裁判では、ジークムント・メイザーというダンツィヒ解剖学研究所の助手が収容所で死体の脂肪から作った石鹸のテストをしており、40体の死体から集めた70から80 kg の脂肪で25 kg 以上の石鹸を製造することができ、完成した石鹸はルドルフ・スパナーという博士が保有していたと述べている。目撃証人には収容所の建設に従事させられたイギリス人収容者やグダニスク薬学校毒性学部長スタニスワフ・ビツコフスキー (Stanislaw Byczkowski) 博士が含まれていた。ホロコーストの生き残りであるトーマス・ブラットは、この件を調査し、具体的な文書がほとんど見つからず、人間の脂肪から石鹸が大量生産されたという証拠はないとした。しかし、石鹸を作る実験の証拠はあったとしている」(ウィキペディア「人間石鹸」)
食用や生体組織を利用するためにかわれる家畜が、いきる「素材」であることはいうまでもない。鶏卵用白色レグホンなどが、その方向で特化した「品種改良」の産物であることも多言を要さない。
ちなみに、性差別主義者は女性を「産む性」ときめつけており、たとえば安倍改造内閣厚生労働大臣をつとめた政治家が〈「産む機械」発言〉をした事例でもうらづけることができる(ウィキペディア「柳澤伯夫」)。
動物にしろ人間にしろ、他者を手段視してはじない人物(ベジタリアンでない人間の大半はそうであるが)は、生命存在を簡単に素材視・装置化するのである。

■「水産物の養殖や水耕栽培なども徹底ぶりの大小の差があるだけ」(p.72したから3行〜)
 ↑ 養鶏など究極の超合理化(=工業化)がすすんだ領域ほどには、養殖は徹底化が困難だし(たとえば個体ごとに個別に給餌できないetc.)、逆に水耕栽培などの一部はコンピューター管理で計画どおりの作物育成が可能だとか、徹底ぶりには濃淡がある。

パナソニックの創業者、松下幸之助の『水道哲学』が提起された『社主告示』(p.73)の現代語訳(私家版意訳)
「企業人の社会的使命とは貧困状態の克服である。そのためには、物資のたえまない増産によって、社会をとませないといけない。水道水は無料ではないが、通行人が無断でのんでも罪にとわれることはない。大量生産される水道水が、極端に安価だからだ。企業人の社会的使命も、水道水のように商品を無尽蔵に生産することで、あたかも無料かとおもえるような価格破壊を実現することにある。それにより、民衆に幸福を提供し、この世を天国を実現できるのだ。松下電器の本当の使命も、おなじである。」

■「鶏卵の物価水準や100円ショップほかでの驚異的な廉価販売=「水道哲学」は、技術革新による工場制大量生産が相当程度実現させた」(p.73 したから10行〜)
 ↑ 「農業・畜産業・水産業の工業化」(pp.71-2)が食品の「驚異的な廉価販売」を可能にしたが、そのインフラを整備したのは「技術革新による工場制大量生産」だった。また「技術革新による工場制大量生産」は複製技術によっているため、その生産システムをコピー(追従)したという面も否定できない。密集したかたちで、集約的に鶏舎を運営するとか、給餌を機械的におこなえるよう、エサを単位時間あたりに消費される流体として把握するといったシステムは、畜産業の工業化といえる。動植物という生命体さえ素材化し、効率化のために規格化するわけだから、100円ショップなどの廉価品の製造工程では徹底的に大量生産が追求された。早晩、それは無人化へとむかう。


■「人間の文化の大半は複製技術を基盤にしている」(p.73 したから4行〜)
 ↑ p.74にかけて整理したとおり、人間の文化は基本的にコピーによって成立している。それも、コピー技術がコピーされていく過程として歴史(文化史・経済史・政治史)は理解することができる。農牧業・水産業しかり、各種工芸しかり、オートメーションによるロボットの機械的複製過程も、その延長線上にある。
穀物や野菜・果実などの種子等の拡大再生産、家畜・ペットの「品種改良」など、いかにも複製技術を基盤にしたものだけではなく、言語文化をはじめとして、ありとあらゆる人間の文化現象は、コピーによって継承・伝播される。くりかえしになるが、コピー方法自体がコピーによって継承・伝播される。ひとが、独力で技法をあみだすことは不安定で、リスクがおおきく、コピー方法をコピーするのは、合理的なのである。「オートメーション」については、次項参照。

■「オートメーション」(pp.74-5)
 ↑ 「ファクトリーオートメーション(英: Factory Automation)とは、工場における生産工程の自動化を図るシステムのこと。FA(エフ・エー)と略される。
……従来、人間によって行われていた作業を無人化することを意味する。産業用ロボットを多用して、従来人間によって行われていた作業を無人化することで、人間による作業ミスの削減、作業効率、人間に対する安全性の向上を図る。……」(ウィキペディア「ファクトリーオートメーション」)の前史としては、「ベルトコンベア」の導入がある。チャップリン映画「モダン・タイムス」は、機械の奴隷のようなあついかいをうける工場労働者の実態を風刺したもの。
「ベルトコンベア」や「ロボット」の導入は、基本的に同一の製品が長時間大量に再生産されることが前提となっている。「複製技術」の典型例である。

■「各界の熟練技能=個人技を解析し、複製可能な程度にまで徹底解体してしまうシステム」(pp.74-5)
 ↑ 「そのみち20年」といった熟練工などの個人的な特殊技能は、調達するコストがたかいので、とりかえ可能であり、養成期間・費用がやすくてすむ単純労働者ですむ生産体制をくみたい。テーラー・システムを起点に、フォーディズム(フォード主義)やトヨティズム(トヨタ主義生産体制)などは、自動車工場などが実現したものであった(トヨタのベルトコンベア労働は、なれと、かなりの体力が必要だったが)。ともあれ、熟練工ではないスタッフだけでまかなうためには、生産過程の分解がなされる必要がある。アルバイターでも短期間にコピーできるまでの生産過程の解体と透明化。マクドナルド化とは、アルバイターが1週間程度の実地研修でシステムのリズムについていける程度まで、手順が解体され透明化されている点も重要な要素である。すくなくとも、ファストフードやコンビニなどは、それが必要だ。

■「マニュアルにそったコスト軽減重視の画一的なプロセスに変容していくなら、育成過程自体かぎりなく「機械化=非人間化」していきます」(p.75 したから10行〜)
 ↑ 商品の低価格化をはかろうと人材育成過程のコスト削減を徹底化すれば、時間短縮には物理的限界があり、最終的には、ぞんざいなあつかいにいたる。動植物の生育と同様、促成栽培・早熟化をはかる方向での合理化には限界があるのに、あたかも無限に省力化・短縮化をすすめることができるかのような幻想が一部にのこっている。

■「もろばのつるぎ」(p.75したから2行)
 ↑「諸刃の剣」(「もろはのつるぎ」とよませることが大半)。「相手にも打撃を与えるが,こちらもそれと同じくらいの打撃を受けるおそれがあることのたとえ。また,大きな効果や良い結果をもたらす可能性をもつ反面,多大な危険性をも併せもつことのたとえ。両刃の剣。

■「消費者には福音ですが」(p.75 最終行)
 ↑ 「1個10円未満の鶏卵」「100円ショップの商品群」など驚異的な価格破壊で、大衆のおおくが満足する点(→pp.96-7など、満足できない層、ついていけない層の存在もあるが)

■「『水道哲学』のような『博愛主義』」(p.76 2-3行)
 ↑ p.73の松下幸之助の主張は、大量生産・薄利多売による「貧乏の克服」をうたっているのであるから、すくなくとも表面上は「博愛主義」と位置づけるべきである。

■「薄利多売商品以外にはサイフをゆるめない消費者集団。それら消費市場をとりあう熾烈な競争をくりかえす業者群。これら需給関係」(p.76 13-5行)
 ↑ 大衆社会における消費者は、生産最前線・流通最前線での現実など考慮しないで、ひたすら利己的な関心だけで「よいものをやすく」と要求しつづける。【需要がわの暴走】
この消費者の要求にこたえるため、同業他社との競合にまけないため、経営者価格破壊へと経営者たちはおいこまれる。価格破壊をめざしてコストカットを徹底する過程で実質労働単価をきりさげるなら、労働現場に、かならずシワよせがいく。【供給がわの暴走】
かりにムリ・ムダ・ムラを皆無にすることができたしても、労働者の消耗を必要悪視する経営者や監督者が一掃されないかぎり、商戦上の「合理化」は最後は労働者の「つかいすて」とか、違法な水準にたどりついてしまう。【「ブラック企業」の遍在化】
技術論的・経済学的なコスト圧縮メカニズムについては、直前の「オートメーション化」(pp.74-5)参照。

■「20世紀後半以降の市場競争は、国境線をこえた億単位の大衆をまきこんだ巨大なうねりとなりました」(p.76 最終的〜)
 ↑ 17世紀オランダでのチューリップ・バブルと崩壊のような国際的な現象はあったが、かかわった人口はたかがしれていた。しかし、20世紀後半にはじまり、世紀末から21世紀にかけての市場競争は、近代初期の数百万といった市場規模での現象ではなく、数千万、数億人にもおよぶような巨大津とか巨大台風をイメージさせる現象さえもたらした。中国製品の大量流入→家電業界の業績悪化は、日本の鉄鋼や自動車の大量流入で市場撤退や転換をしいられた北米産業界や失業などとかぶるものだし、中国など東アジア諸地域の中産階層・富裕層の急増にともなう市場の膨張も、20世紀前半までには想像もつかないような巨大な変動といえる。

■「確実にいえること。〜」(pp.77 最終3行)
↑ たとえば、徳川幕府が「鎖国」によって、キリスト教流入や貴金属の流出をおさえるなど、19世紀中期までの世界各地は、グローバル化の直撃をうけないかたちで、自律的な経済・社会圏を維持できていた。しかし、19世紀の後半をへて20世紀にはいると、欧米社会の政治経済的事件や、風俗・流行などが、世界各地に急速に影響をあたえはじめた。官吏や警官・軍人などを中心に洋髪や洋装(西洋式ファッション)などと無縁であることは困難になるとか、獣肉食が急速に普及するとか(「文明開化」)、世界中の感染症流行の余波をうけるとか、世界と無縁な空間は、ごくわずかしかのこされなくなる。居住地や職種・交際の自由が原則となれば、人口移動が無視できなくなり、文物や情報もしばしば高速で広域に伝播するからだ。

■「2000年3月に日本人横綱が引退してから〜約半数をしめるという現実」(pp.78-9)
 ↑ 「平成
若貴兄弟(貴乃花光司若乃花勝)の活躍により、一時相撲ブームが起こった(二人の名を取って若貴ブームとも呼ばれた)。伯父が名横綱・初代若乃花、父が名大関・初代貴ノ花という血統が、オールドファンを呼び戻すとともに、貴乃花の精悍な風貌、若乃花の人好きのする童顔は、それまで相撲に興味のなかった層の女性ファンも獲得した。
一方、千代の富士貢の引退が呼び水になったように生じた横綱不在、群雄割拠の中、まず小錦が抜け出した。彼は膝の故障をついに克服しきれず、史上初の外国出身横綱を逸したが、ハワイ出身の後輩、曙、武蔵丸が共にこれを果たし、優勝も二桁10回以上を重ねた。1993年から2000年頃にかけては、若貴兄弟らの二子山部屋勢対曙・武蔵丸のハワイ勢の様相を呈した。
貴乃花は曙らを抑えて優勝22回を数え日本人力士の体面を保ったが、その引退と入れ違いのように外国出身力士の主流はモンゴル勢に移った。2006年3月場所では、優勝と三賞をすべてモンゴル勢で占めることになった。ブルガリア出身の琴欧洲エストニア出身の把瑠都大関に昇進するなど、旧東欧圏出身力士も目立ち始めた。2006年1月場所栃東から……日本人力士による幕内最高優勝が達成され」ていない。(ウィキペディア「大相撲」)

■「もはや「外国人」ぬきに興行が成立しない」(p.79)
 ↑ 「ウィンブルドン現象ウィンブルドンげんしょう)とは、市場経済において「自由競争による淘汰」を表す用語である。特に、市場開放により外資系企業により国内系企業が淘汰されてしまうことをいう。ウィンブルドン効果とも呼ばれる。……市場経済において自由競争が進んだため、市場そのものは隆盛を続ける一方で、元々その場にいて「本来は地元の利を得られるはずの者」が敗れ、退出する、あるいは買収されること。
競争により活性化し望ましいという見方と、在来のものが除外され望ましくないという見方がある。……
……語源はテニスのウィンブルドン選手権。伝統ある同選手権では世界中から参加者が集まるために強豪が出揃い、開催地イギリスの選手が勝ち上がれなくなってしまった。男子シングルスでは1936年のフレッド・ペリーの優勝から2013年のアンディ・マレーの優勝までの77年間、優勝がなかった。また、女子シングルスでは1977年のバージニア・ウェードの優勝を最後にイギリス人の優勝者は出ていない。……
……
ウィンブルドン選手権以外のスポーツ競技における同様の現象
・大相撲・日本出身力士の不振
日本の国技と言われている大相撲では、現在モンゴル国ポリネシア、東欧など世界各地から才能のある選手が集まり、相撲内容は多彩になった。しかし、それと同時に地元である日本出身の力士が、現在に至るまで長期間活躍出来ていないという様子が、ウィンブルドン現象に例えられる場合がある。
幕内最高優勝では、2006年1月場所栃東大裕(元大関・現玉ノ井親方)を最後に、現在2013年に至るまで7年以上、日本出身力士の幕内優勝は一人も出ていない(ただし2012年5月場所、モンゴル出身で日本国籍を取得済の旭天鵬勝が平幕優勝)。また2003年1月場所限りで貴乃花光司(第65代横綱・現貴乃花親方)が現役引退して以降、2013年現在10年以上も日本出身の横綱が存在していない状態が続いている。さらに日本出身の横綱は1998年5月場所後の若乃花勝を最後に15年以上誕生しておらず、また日本出身の横綱同士の対戦となると、1991年7月場所の北勝海信芳と旭富士正也の取組を最後に20年以上実現していない。
……2002年2月から「1部屋1外国人制」を実施し、以来一つの相撲部屋には外国人は1人しか入門できない仕組みになっている(入門時に日本滞在が満10年以上の者や日本に帰化した場合は対象外)。

・プロゴルフ
全米女子プロゴルフ協会(LPGA)主催試合において、2000年代以降、アメリカ合衆国以外の出身選手の参戦が顕著となり、とりわけ、1998年全米女子プロゴルフ選手権で優勝した朴セリの成功をきっかけに大量にツアーに参戦した韓国出身選手が多くの大会で優勝するにつれ、2008年に全米女子プロゴルフ選手権を放送したザ・ゴルフ・チャンネルの中継中、「韓国選手があまりにも多く、米国選手の活躍が少なくなり、米国内で視聴率が落ちている」とコメントされるほどの事態となり[1]、実際に年々大会数や賞金規模が縮小、2012年には、賞金総額こそ4772万ドル(約44億円)と日本女子ツアーを上回ったものの、トーナメント数はついに30試合を割って29試合(日本開催のミズノクラシックも含む)となった」(ウィキペディア「ウィンブルドン現象」

「特徴
・2003年頃からプレミアリーグに所属する各クラブが外国人投資家に買収されるようになり、現在ではリヴァプールアメリカ人)、マンチェスター・U(アメリカ人)、チェルシー(ロシア人)といったビッグクラブやマンチェスター・シティUAE人)、アストン・ヴィラアメリカ人)、ポーツマス(ロシア系フランス人)、バーミンガム香港人)などといった中堅クラブまでが外国人オーナーの所有するクラブとなっている(ウィンブルドン現象)。2011年10月現在、プレミアリーグ所属の20クラブ中、半数の10クラブで外国人がオーナー職を務めているという現状である…。
イングランドのリーグだが、英国籍の選手の率は決して高くはない。(13-14シーズン開幕戦の英国籍のスタメン率は34%と過去最低となった。)一時期のアーセナルではスタメン全員が外国籍選手だけという試合もあった、クラブによっては多国籍化が進んでいる。」(ウィキペディア「プレミアリーグ」

■「自給率100%ちかい国家」(p.79)←2009年段階で主要国で、食料自給率(カロリーベース)で100%をこえているのは、アメリカ・カナダ・フランス・オーストラリア、かなりちかいのがドイツぐらい。ほかは日本の40%はともかく、50%台から70%台で、とても一国内で自給できているとはいえないのが現実(農林水産省諸外国・地域の食料自給率(カロリーベース)の推移(1961〜2012)」)。カナダ・オーストラリアなど、突出した穀倉地帯が世界各地の不足分をおぎなっているといえる。

■「bads」(p.80)←ここでは、経済学モデルでの厳密な概念ではなく、単純に、「よくない事物・現象」「さけたい事物・現象」をさす。
感染症の原因であるウィルスなどのような有害なものはもちろん、覚せい剤などのように依存症患者を最終的には破滅においこむ依存性物質など、社会に問題をもたらす要素が、航空機やインターネットなどを介して大量高速移動するという現象を現代社会の本質だとみなして議論をすすめている。
pp.98-9も参照のこと。

■「仮想水」(p.80)←脚注27以上の情報は、とりあえず以下参照。
ウィキペディア「仮想水」(外部リンクなど意外に充実)


■「ひとびとが(一応)主体的に判断し取捨選択した行動が集積し、政治経済的・文化的に、既存の境界線がやすやすとのりこえられているという現実」(p.81 11-3行)
 ↑ 戦時中の軍事的徴用(詐欺・誘拐をともなう軍慰安婦「募集」などもふくめた)のように(半)強制的な移動、アメリカ大陸への奴隷の輸送など、人間の意志を完全に無視した越境は、20世紀なかばまで たくさんあったし、朝鮮労働党による市民の拉致など、20世紀後半にも醜悪な事例は散見される。しかし、20世紀に急増した越境は、経済的困窮などが基盤になっているとはいえ、移住者たちの主体的な判断がからんでいた。19世紀後半以降、急速に制度化した国境線や出入国管理システムとはうらはらに、大規模客船や航空機が、世界中で移動を活発化させた。

■「「日本国との平和条約」の発効で独立状態をとりもどす」(p.82 したから10行〜)
↑ 同時に発効した旧安保条約と、1960年からきりかえられた新安保条約は、たしかに、日本が安全保障という名分で、準植民地的な存在であることをしめしている。特に、日米地位協定は、植民地といわれても、否定できない本質をかかえている。しかし、日米両政府は、もちろん、この非対称的地位(優劣関係)をみとめていない。たしかに、一応独立国なのである。米国政府の一存で日本の政治経済が決せられているわけではないし、すくなくとも、日本国民は、「民主的投票」によって、国政の代表者を選択しているし、行政をになう官僚も日本国籍者によってしめられているからである。この形式的独立と実質的屈従こそ、戦後の日本の政治体制の本質といえよう。

■「アメリカ国民は「9・11同時多発テロ」のいわれなき被害者だというアイデンティティ(自画像)から解放されていない」(p.82したから2行〜)
 ↑ チャルマーズ・ジョンソンが、『アメリカ帝国への報復』(鈴木主税訳,集英社 2000年,“Blowback: the Costs and Consequences of American Empire”, Henry Holt, 2000)で指摘していたとおり、「9・11同時多発テロ」に類する攻撃を誘発するような高圧的・差別的な世界戦略をとりつづけてきたアメリカは、環太平洋を植民地・準植民地化してきた、あきらかな帝国主義国家だった。しかし、アメリカ国民の大半はその自覚がないことが、歴代の大統領府や連邦議会議員のメンバーをみれば、それは否定できない。かれらは、「真珠湾攻撃は卑劣な不意打ち」という神話を信じてうたがわないのと同様、「9・11同時多発テロ」のいわれなき被害者だと信じてうたがわない。世界から、どのような反感をおぼえているのか、それがどんな歴史的経緯をもっているのかをしらないし、しろうともしない。

■「砂漠地帯を〜ちがいありません」(p.83、8行〜11行)
 ↑ 戦争は政治経済の拠点をめぐっての支配権の争奪戦が基本となる(かなり広域の領土の争奪も、拠点となる諸都市の支配権が決する)。したがって、大都市や軍都でもない地域に、軍隊が駐留するとか(それを「市場」とした諸業種=性風俗などもふくめた=も結集する)、避難民の支援のために国内外からNGOなどが結集するといった人口移動がおこることは、近代以前にはありえなかった。

■「(現代の=引用者注)大量移動のなかで……社会全体への変動をもたらしたものの象徴といえるのは、マクドナルドなどサービス産業が世界展開したことによる労働・消費スタイルの変容」(p.84 7-8行)
 ↑ 世界展開したマクドナルド社にならって、おもに北米起源のファストフード、スーパーマーケットやコンビニなどの大規模チェーンが急増した。このことは、流通業界全体を変革しただけでなく、そこではたらく労働者、そこを利用する消費者の人生の質を全面的に改変するような圧倒的な影響力を行使した。【次項参照】

■「マクドナルド……のもたらした変革は……意図的コピーにとどまらず、公/私や営利/非営利にかかわらず、普遍的に作用している」「競合している組織同士は、合理化競争ゲームからおりられない」「たとえばスーパー/生協間はもちろん、公立病院/私立病院間でも」(p.84したから10行〜)
 ↑ こういった合理化競争をしいる力学は、「利用者も大半は〜サービス組織に要求水準をどんどんあげていく」ことの集積がもたらしたもの。これら超合理化に対する違和感や非合理性については、p.96第2段落・第3段落。
マクドナルド化の起点は、レイ・クロックによるマクドナルド1号店(1955年)。経緯の詳細は、『マクドナルド化する社会』2章「マクドナルド化とその先駆者たち」。

■「効率性」「計算可能性」「予測可能性」「制御」(pp.84-7)の補足説明
 ↑ 「効率性」:外食サービスなら、「空腹→満腹」へのプロセスの省力化・省時間化・低価格化を徹底すること。薄利多売の速度をあげることで利潤を最大化。
「計算可能性」:外食サービスなら、素材の調達・調理プロセス、商品の提供プロセス、商品の消費プロセスにおいて、時間や量が数値化できること。
「予測可能性」:外食サービスなら、素材の調達・調理プロセス、商品の提供プロセス、商品の消費プロセスが、あらかじめ当事者に明確にイメージできること。
「制御」:外食サービスなら、「きちんと並ぶことが求められている行列、選択の余地のないメニュー、追加注文の品数の少なさ、そしてすわり心地の悪いいすなど、そのすべてが経営戦略上顧客に要請していること」で消費者は店舗スタッフや経営者に「制御」され、「従業員は教えられたとおり正確に、ごく限られた業務をするよう訓練され……さまざまな装置や組織作りの方法がこの制御を補強し、店長は従業員が自分の職務をきちんと実行しているかどうかを確認する」が、これらの総体が経営者らによって「制御」されている。


■「公教育機関マクドナルド化」(p.85)
 ↑ 受験塾や予備校、英語学校や資格試験予備校など「営利企業」としての教育産業は、家庭教師や個人レッスンなどのマンツーマン・少人数サービスを例外として、「マクドナルド化」圧力をうけている。セルフサービス(宿題・自習etc.)を自明視し、なるべく多人数への一斉授業(統一テキスト・カリキュラムによるマスプロ教育)をふやすという、コスト圧縮圧力がかかりつづける。少子化や構造不況など、社会的環境の「悪化」は、圧力をつよめることはあっても、ゆるむことはない。前線に労働単価をきりさげる圧力がくわわることは、あきらかだ。サービス商品を提供するための「サービス残業」など、さまざまな労働強化が進行する。
受験塾や予備校と陰に陽に共存・競合関係にある小中高校には、公私をとわず、広義のライバルにまけないよう圧力がかかる。英語学校や資格試験予備校と陰に陽に共存・競合関係にある大学も、同様の圧力をうける。私学の偏差値競争や入試の多様化など、すべて労働強化をともなう。進学・就職実績をあらそう諸組織は、利用者たる生徒・学生や保護者に自助努力を要求するだろう。
マクドナルド化の負の側面」(p.85したから2行)も参照のこと。
マクドナルド化」が進行するのは、もちろん教育界にとどまるはずがない。p.84に例示したとおり、余波は私立病院をへて公立病院へ、スーパーマーケットなどを介して生協へ、影響がおよぶ。1対1の対面サービスでないもの、利潤追求の業者が参入できるところでは、基本的に発生する。保育・介護などは、その典型例である。

■「……「効率性」「計算可能性」「予測可能性」「制御」の4条件を追求するために、既存の諸力は、すべてつまみぐいされています」(p.85したから5行〜)
 ↑ ここで「つまみぐい」という表現をつかっているのは、「すこしずつ、ほぼ等量」という意味ではない。マクドナルド化する組織は、超合理主義を追求するために、既存の組織・技術を恣意的(ごつごう主義的)に援用し、そこになんら罪悪感とか羞恥心とか感じないメンバーが主流派をしめていくという意味。


■「マクドナルド化の負の側面」(p.85したから2行)「マクドナルド化への批判
・合理的システムは大量の非合理性を必然的にもたらす。つまり合理的システムは人間の理性を否定する傾向を助長する。
マクドナルド化は環境に対して様々なマイナスをもたらした。人々が期待しているポテトを作るためには形の揃ったジャガイモを育てる必要がある。そのためには大量の化学薬品が使われ、完璧でないジャガイモは大量に捨てられる。
・食事をする場所や作業をする場所が脱人間的な環境に変わっていってしまう。ハンバーガーを求めて、カウンターに一列に並ぶ顧客や、ドライブスルーで行列をつくって待つ顧客、そして食事の準備をしている従業員がしばしば感じていることは、自分が組み立て作業ラインの一部になっているという感覚である。食べていることに向いていないだけでなく、働く状況として非人間的になってしまっている。」
↑ 基本的に、「効率性」「計算可能性」「予測可能性」「制御」の諸要素は、消費者のニーズにこたえているからの成功の要素(合理化)ではあれ、所詮は利潤の極大を追求するシステムのマーケティングにすぎず、利益をえるのは経営者と投資家である。「消費者のニーズにこたえている」というのは、大衆あいての薄利多売のために不可欠だからにすぎない。コストカットゆえ、当然消費者や労働者の健康についての配慮は軽視される。「ファスト」フードや「マックジョブ」に、ゆとり、など人間らしさを要求するのは、「ないものねだり」である。
また、回転率を極大化するように設計されてはいても、「ラッシュアワー」は発生する。ファストフードにしろ、テーマパークにしろ、利用者のニーズは時間的に集中しがちであり、高速道路の渋滞のような現象はさけられない。「行列」を敬遠させないだけの集客力がもとめられる。


■「ピザや書籍の宅配システム……は、まさにマクドナルド的サービス」(p.87 8行〜)
 ↑ 根拠は、ページ後半(自宅/オフィスでのテーブル・玄関/ドア間が、店内のテーブル・カウンター間に対応)。
もちろん、近代日本で全国化していった(起源は、18世紀なかごろ)「出前」は、現代的デリバリーに先行している。江戸前ずしや仕出し弁当、どんぶりものなどをファストフードとみなせば、デリバリー版マクドナルド商法の先行形態といえそうな感じがして当然だ。しかし、一度の注文で5000円〜数万円といった価格帯にまでおよんだり、ピザなどとはちがってときに数十分かけて食すなど、通常の「ファストフード」イメージとは相当ズレる。すくなくとも、江戸前ずしの出前は、薄利多売ではない。