植木哲也『植民学の記憶―アイヌ差別と学問の責任』(緑風出版)

植民学の記憶―アイヌ差別と学問の責任

植民学の記憶―アイヌ差別と学問の責任

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http://www.ryokufu.com/isbn978-4-8461-1512-8n.html
植木哲也[著]
四六判上製/240頁/2400円
ISBN978-4-8461-1512-8 C0036

 1977年に北海道大学の「北海道経済史」講義で起きたアイヌ民族に対する差別発言……。しかし、それはたまたま起きた事件ではなく、背後に「植民学」があった。研究者たちはアイヌ民族をどのように捉えてきたのか。札幌農学校以来の植民学の系譜をたどり、現代にまでいたるアイヌ民族差別の源流を明らかにし、「学問」の責任を考える。
(2015.7)

■内容構成
第一章 差別講義事件
 一 北大差別講義事件
軍艦講堂/発端/一九七七年七月九日/助手有志による質問状
教授会告示/不可侵の原則/その後の展開/時代状況/学生闘争
 二 命をかけた闘い
結城庄司の公開質問状/真冬の座りこみ/チャランケ
林の回答書/何が問われていたのか/「学問」の反応
 三 研究者たち
林善茂/植民学講座/高倉新一郎/『アイヌ政策史』
高倉新一郎への批判/結城庄司の批判
第二章 植民学講座
 一 札幌農学校と植民学
開拓使仮学校/開拓使アイヌ教育/札幌農学校開学
学校の危機と植民学/佐藤昌介と新渡戸稲造
 二 植民論の展開
講義ノート/内国植民論/帝国大学への昇格/高岡熊雄
北海道帝国大学から北海道大学へ/北海道大学と植民学
 三 植民学とアイヌ民族研究
北大植民学の制約/本流と傍流/高倉新一郎の研究動機
植民学としてのアイヌ研究/内国植民論との接点
第三章 内国植民論
 一 高岡熊雄の日本内国植民論
佐藤昌介の民族論/プロシア留学/『日本内国植民論』
高岡熊雄のアイヌ民族論/明治政府の内国植民政策
『普魯西内国殖民制度』/社会政策としての内国植民
民族競争としての内国植民/植民の終了/「植民」概念の変容
 二 内国植民論とアイヌ民族研究
『日本内国植民論』と『アイヌ政策史』/民族問題へのアプローチ
高倉新一郎と同化政策/高倉の政策批判/フタの締めなおし
第四章 開拓の歴史
 一 「植民」から「開拓」へ
民族問題の消滅/拓殖の条件/「開拓」「拓殖」「開発」
「殖民」と「植民」/歴史の接続と切断/蝦夷地の歴史と北海道の歴史
開拓と先住民族/自然としてのアイヌ/開拓史としての北海道史
 二 開拓の中のアイヌ
同化の姿/同化と差別/「あわれな」アイヌ/風俗の保存/開拓者精神
北海道百年
 三 開拓史観
『新撰北海道史』/『新北海道史』/支配者の歴史と人民の歴史
アイヌ衰亡史』/植民地としての北海道
第五章 辺境論
 一 辺境と内国植民地
植民学の消失/辺境としての北海道/辺境= 内国植民地/北海道の植民地化
レーニンマルクス/内国植民論と内国植民地論争/民族問題の忘却
 二 新しい「内国植民地」
内国植民地論争の再活性化/植民地的性格の継続/アイヌ民族への言及
歴史の切断/「まだ十分熟さない概念」/北海道と沖縄
植民する者から植民される者へ/高倉新一郎の植民地論
「開拓」概念の修正/当事者としての学問
終 章 植民地の大学
結城庄司の問い/存在の否定/学問による差別/「学問の自由」/侮蔑的発言
植民学の隠蔽/事件以後/植民状態の継続/過去と未来
文 献
あとがき

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■北大関係者(非アイヌ系)による、北大アカデミズム=コロニアリズム批判。
■もちろん、北大関係者以外が、これらの知的暴力から無縁なはずがない。また、同様な構図は、琉球大などにも当然通底するであろう。
■そして、経済学や政治学系の植民学/殖民学だけが、こういった知的暴力の当事者であるはずがない。言語学/人類学/民族学社会学なども、ひとごとではないのである。■実際、社会学者/人類学者/言語学者たちが、具体的に無自覚な差別者として搾取的調査や、本質主義的なカテゴリー化などをくりかえしたこと、それが学界内部/相互で充分批判がされていないことは、『日本人という自画像―イデオロギーとしての「日本」再考』(三元社2002)でのべた。
■そして、こういった批判は、にないて(人口)が圧倒的にマイナーであり、たとえば教科書化されたり、一般の新聞紙面におおきくとりあげられることは、まずない。さらに、マジョリティーがわが、自覚のあるなしにかかわらず無視し、大衆レベル(これは、オルテガ的な意味であり、政官財エリートはもちろん、メディア・大学関係者も同様)で忘却していく構造とセットになっているという点で、まさに、「歴史社会学」(歴史知識/歴史意識の知識社会学)のテーマでもある。


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