『社会学のまなざし』コメンタール(回路4)

受講生からでた質問への回答にかえて、各記述について、補足説明。
※ 表記などについての疑問については、「『社会学のまなざし』誤植一覧

■「合理化の逆説」(p.95 13行)
 ↑ 「オートメーション化」(pp.74-6)、「グッズ(good)・バッズ(bads)の大量高速移動」(pp.80-2)、「マクドナルド化」(pp.84-6)など、合理化は「光」だけをもたらすのではなく、超合理化には「影」ももたらす点。

■「現代社会に特徴的な「超合理性」」(p.95 15行)
 ↑ 現代社会以前にも、社会ごとの合理性は存在したが(一定水準以上の合理性がないと社会が存続しない)、現代社会は、合理主義が究極まで徹底され、システムに適応できない弱者をきりすてる、冷酷な現実がひろがる。超合理主義がもたらす副産物=非合理・非道が多発する。

■「とりわけ大企業は、近代以前の王国〜巨大な官僚システムを維持するのとおなじ」(p.95したから3行〜p.96うえから3行)
 ↑ 大企業と軍隊は、ライバルをうちまかす、ないしはテリトリーを死守するために、戦場と攻守のライバルのかかえる条件を徹底的に分析する。
戦場・自陣周辺で加勢してくれる勢力の分布や、敵に加勢する勢力の分布はもちろん、各地への物資補給などの地理的条件における彼我の優劣など、諸条件の科学的で冷静な分析がくりかえされ、戦略にくみこまれる。
それらの分析の蓄積・総合をへて、各地への物資補給の中長期的計画(後方支援体制の組織化)や短期的な決断がなされる。
これらがライバル間でしのぎがけずられる過程で、競争原理は合理化を徹底化させることになり、企業は、実弾や爆薬など兵器をつかわないだけで、本質的に非常ににかよった官僚制組織として対立・共存することになる。

■「NIMBY」(p.98)
NIMBY(ニンビー)とは、“Not In My Back Yard”(自分の裏庭には来ないで)の略で、「施設の必要性は認めるが、自らの居住地域には建てないでくれ」と主張する住民たちや、その態度を指す語。日本語では、これらの施設について「忌避施設」「迷惑施設」「嫌悪施設」などと呼称される。」(ウィキペディア「NIMBY」)
本書のなかでは、p.100に具体例。


■「すぎたるは、なおおよばざるがごとし」(p.96うえから11-2行)→「過ぎたるは猶及ばざるが如し

■「遠隔地系マクドナルド化システムは便利さを享受するための知識とそれを活用する技能……が不可欠」(p.97 5行〜)
 ↑ 情報通信技術がらみのインターフェイス(キーボードやマウス、タッチパネルetc.)は、システムの構造をおおづかみできる層にとっては、単純に便利である。しかし、それは、わかさ(心身の柔軟性)など、情報処理能力や助力があってこその利便性。高齢者をふくめた広義の病者・障害者や、幼児をふくめた年少者には、駆使が困難な障害物でしかないことが、すくなくない。

■「好景気で労働力の売り手市場でもないかぎり、雇用者(買い手)が相対的優位にあることはあきらか」(p.97したから2行〜)
 ↑ 斜陽産業などや過疎地ならともかく、都市部で倒産せずに存続している企業は、すくなくとも求職中の労働者よりは強者といえる。例外的なのは、バブル経済など好景気。テレワーク・モバイルワークとよばれる情報通信技術に即した労働は、職務形態の柔軟性ゆえに、労働者の主体性が維持される自由な時空が確保されるようにかたられたが、消費者や企業など、しごとを発注するがわのつごうにあわせるために、とことん私生活を犠牲にするような、ちから関係が基調となる。
繁忙期に業務が物理的にこなしきれず、行列や順番まちなどが発生し、サービスを提供されるがわにとって不如意な状況が発生することはある。しかし、そういった「渋滞」状況を例外として、たとえば「納期」を充分にまもりきれない労働者はきりすてられるのであり、IT時代で進行中の「超合理化社会」は、労働者の労苦をやわらげはせず、むしろ、労働強化をつよめる傾向がつよい。

■「合理」(p.98 4行〜5行)
 ↑「合理化(ごうりか、英: rationalization)
◇企業・団体が、新しい設備、施設、技術の導入、管理体制、組織を再編成することによって労働生産性の向上を図ること。特に、余剰資産・設備や人員を整理することについて使われる。
◇合理化 (心理学) - 心理学の用語で、自分にとって都合の悪い現実を、事実と異なる理由で隠蔽・正当化するなど、心理的自己防衛を図ること。 例えば、大学入試に失敗した者が、自分の学力が不足していたことに目を背け、「あの大学はもともと学風が嫌いだった」と述べるなど。……
◇合理化 (社会学) - それまで慣習的に行われてきたやり方を、成文的なルールに則ったやり方に改めること。マックス・ヴェーバーの一連の社会学によって研究された。」(ウィキペディア「合理化」)
本書にあっては、文脈によって、いずれももちいられている。回路④では、おもに経営学などでもちいる第1の語義でおもにもちいている。もちろん、「超合理主義という非合理性」といった表現においては、「労働生産性の向上」とか「人員を整理」といった方向性を自明視する姿勢を批判的に位置づけている。労働者を道具としてしかかんがえないがわの正当化という意味での「合理化 (心理学)」がはたらいているとうたがうからだ。 

■「不安と排外主義」(p.102 4行〜)
↑ pp.100-4にわたって展開される事例は、欧米社会におけるユダヤ系やイスラム系や、日本列島におけるコリアンなど、「外部」から侵入してきた異分子といった位置づけの排外主義的構造である。北米やオセアニアが、そもそも植民地であり、ヨーロッパにルーツをもつ住民自身が入植者の末裔にすぎないこと、日本列島のヤマト系と位置づけられる住民自身が、朝鮮半島や中国大陸、太平洋諸地域からの流入・定着民の末裔であることは、あきらかである。しかし、支配的な多数派勢力は、19世紀後半以降、とりわけ20-1世紀の移住者だけを、「外部」から侵入してきた異分子として位置づけ、みずからの排外主義を正当化する。天皇家がルーツに朝鮮半島の王族をもっているという文献だけでなく、天皇家をふくめた住民全員が、日本列島外からの流入者であることや、西日本の陶磁器の拠点のおおくが、秀吉らによる陶工の強制連行をルーツにかかえていることなど、列島上の出自や文化的系譜が列島外にあること、列島内で自然発生的にうまれひきつがれた独自性などわずかであることを直視せずに、在日各層など民族的少数派を暴力的に差別排除するのである。法務省による難民申請者への過酷で冷酷な拒否(p.102)や、それへの国民各層の冷淡さも、その構造的産物といえよう。

■「ユダヤ人差別という責任転嫁」(p.103 5行〜)
↑ 「ヒトラーを党首(党設立時から総統とよばれた)とする国家社会主義ドイツ労働者党(NASDAP:Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei、いわゆるナチ党)は,ベルサイユ体制打破,無能なワイマール共和国の否定を唱え,第一次大戦の敗戦を,……ユダヤ人に責任転嫁し,東方にドイツの生存圏を拡張し,大ドイツを復活すべきだと主張した。」(「◆ユダヤ人虐殺の理由・アウシュビッツ強制収容所」『鳥飼行博研究室』)
「……「ユダヤ人が社会民主党の指導者」であるとされ、社会民主党は階級的な組織ではなく民族的な組織として、つまりユダヤ民族(ユダヤ人の民族共同体)のドイツ民族(ドイツ人の民族共同体)に対する闘争の組織として解釈される。マルクスユダヤ人であり、その「理論的大言と活動」は、ドイツ民族を支配するために「ユダヤ民族が思想をかくすため、少なくとも偽装するため」のものとされ、マルクス主義の階級的性格は民族的なものにすりかえられる。
 ブルジョア的世界観・イデオロギーも、民族的性格に「還元」される。ブルジョア革命とその理念としての自由と平等、その世界観としての自由主義個人主義、民主主義等々は、ヒトラーによれば、ユダヤ人が他民族を支配するためのものであった。
 ナチス民族主義は、伝統的な反ユダヤ主義と結びつくことにより、国民統合の武器となる。漠然とした不安や、矛盾に満ちた個々の人種観は、諸悪の背後には「ユダヤ人の黒幕」がいるというイメージによって、イデオロギー的に統合することができた。人々が現実に経験する近代のユダヤ人は実に様々であったので、いろいろな現象の背後に「ユダヤ人」という憎むべき神秘的な存在をかぎつけることが容易になった。例えば、ドイツ文化に同化したユダヤ人知識人は近代という悪を体現し、正統派のユダヤ教徒は、キリスト教反ユダヤ主義による伝統的な敵のイメージに合致する。経済的に成功したユダヤ人は、「強欲な資本」と自由主義とを象徴し、ユダヤ人の社会主義者は、憎むべき「ボリシェヴィズム」と「マルクス主義」を代表する。東欧からのユダヤ人は、ゲットーという異質な文化から出てきたため、帝国主義時代の文明的・植民地主義的優越感のはけ口としてまさにぴったりであった。これにともない、ナチ党の反ユダヤ主義は、宗教的、国民主義的な理由からする伝統的な反ユダヤ主義とは異なり、ユダヤ人の個々の要素ではなく、「ユダヤ人そのもの」という抽象的なもの、つまり人種主義がつくりだした人工的なイメージを標的にしたのである。ナチに敵対するものの究極的な象徴としてユダヤ人が利用されたのであり、厳密な区別は必ずしも必要ではなかったのである。
 ヒトラーの客観的現実的政治目標は、第一に領土拡大と帝国主義戦争であり、第二にそのための国内の政治体制の確立であった。そして、そのためには新しい理念と世界観をもった強力な大衆的政治運動が必要であり、そのための世界観が民族主義的世界観であった。このような見方に立つと、ユダヤ人絶滅政策を単にヒトラー反ユダヤ主義から見るのは誤りである。ユダヤ人を絶滅することは、ヒトラーの政治目標にとって何の意味もないのである。ユダヤ人を絶滅してもドイツの領土は拡大するわけではないし、戦争を遂行しうるような国内体制を樹立することにもならない。したがってユダヤ人攻撃は、民族主義的世界観以外の全てのものに対する攻撃的意識を喚起するためのイデオロギー的手段にすぎなかったのである。反ユダヤ主義は、ドイツ帝国主義への国民統合の一つの武器でしかなかった。……」(「ナチズムのユダヤ人絶滅政策」)


■「関東大震災時の「朝鮮人来襲」デマのような悪質なものは横行しないものの、ネット上の匿名掲示板では、それを事実であるかのようにかたる人物が阪神大震災後も東日本大震災後も続出しました」(p.106 9-11行)
 ↑ 「デマとしては、「性犯罪が増加した」などが流れたが、兵庫県内の強姦の事件数自体は前年と変わらず、逆に強制わいせつ事件は減少していた。また、窃盗・強盗の件数も同様に減っていた」(ウィキペディア「阪神・淡路大震災」)
「福島第1原発から半径30キロ圏内についても「外国人窃盗団が荒らしている」など根拠のない情報が出回っている」(「震災めぐりネットに悪質書き込み 警察がデマ対策強化」【共同通信】2011/04/01)
「「避難所となった三条中(仙台市青葉区)で中国人らが支援物資を略奪している」。震災数日後、ネットや口コミを通じ、こんなデマが流れた」(「「性犯罪や略奪行為多発」… デマ横行し不安が増幅(河北新報)東日本大震災の後 先々の見通しが立たない不安が背景」)


■「自制・抑制がきかないきらいがあります」(p.106 16行)
 ↑ =自制・抑制が充分できないという、こまった傾向がある。

■「ホットスポット」(p.107 最終行)
「……「hotspot ホットスポット」とは、局地的に何らかの値が高かったり、局地的に(何らかの活動が)活発であったりする地点・場所・地域のことを指さすための用語で、具体的には以下のような場所を指す。
・犯罪が多発する地区、犯罪率が高い地区。 →ホットスポット (犯罪)
・汚染物質が大気や海洋などに流出したときに、気象や海流の状態によって生じるとりわけ汚染物質の残留が多くなる地帯のこと。汚染物質の種類や流出理由は問わない。……」(ウィキペディア「ホットスポット」)
↑ ここでは、もちろん、東日本大震災のひとつである「福島第一原発事故による放射性物質の拡散」にともなう、原発周辺からははなれた地域での汚染の「飛び地」をさす。

ホットスポット ネットワークでつくる放射能汚染地図

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■「対岸の火事」(p.108 13行)←「他人にとっては重大なことでも,自分には何の痛痒(つうよう)もなく関係のないこと」(大辞林 第三版)
ここでは、受益圏住民が、「NIMBY(Not In My Back Yard)」という、リスクを遠方や後世に まるなげして、さまざまな便益だけ享受しようという姿勢が、受苦圏のリスクの「ひとごと」視にささえられている(罪悪感の欠落・忘却)という指摘。

■「監視社会化」(pp.108-9)
↑ 前段までの議論をうけて、「不安と排外主義」に起因する個人や小集団への監視がつよまり、しかも 監視状況への感覚マヒから、監視下にあることの自覚ないまま個人情報等が収集・利用されている点を強調している。本書の該当箇所で指摘しおとしたのは、国家権力による防諜活動と並行して、国家機密を「保護」するという名目で、「特定秘密保護法」などにより政府の不祥事などが隠蔽されかねないリスクである。つまり、「監視社会化」とは、国家や企業による私人等の監視(情報収集)が進行するのと反比例するかのように、国家や企業に対する監視が困難になっていく過程でもある。

プロファイリング・ビジネス~米国「諜報産業」の最強戦略

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ポスト・プライバシー (青弓社ライブラリー)

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